書評

『感覚の近代―声・身体・表象』(名古屋大学出版会)

  • 2017/08/10
感覚の近代―声・身体・表象 / 坪井 秀人
感覚の近代―声・身体・表象
  • 著者:坪井 秀人
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(535ページ)
  • 発売日:2006-03-01
  • ISBN-10:4815805334
  • ISBN-13:978-4815805333
内容紹介:
公と私のあわいに浮かびあがる「感覚」という問題系をとらえ、文学・映画・写真・音楽・歌謡・舞踊など様々な芸術ジャンルを近代日本の文化的=政治的文脈に再配置しつつ横断的に読み解く、新たな批評の実践。
「加齢臭」という言葉がある。不快な臭いという意味で、否定的に用いられることが多い。江戸時代はおろか、つい二、三十年前にはまだなかった表現であろう。同じ匂いでも昔と今では感じ方も連想したイメージも大きく違うのかもしれない。

長い歴史のなかで、人間の感覚はたえず変わっている。とりわけ近代以降、その変化が大きい。にもかかわらず、人々はふだんそのことにほとんど気付いていない。ひと言で「変化」とはいっても、何がどのように変わったかは、必ずしも明瞭ではない。本書はそうした未解明の問題に正面から挑んだ。

むろん近代における身体感覚について、これまでも複数の書物が刊行されている。ただ、そのほとんどが、感覚そのものに集中していた。それに対し、本書は感覚の表象およびそれをめぐる言説の分析に力点が置かれている。言説によってある種の感覚だけが特権的に語られるようになったのはなぜか。そのことが近代のさまざまなテクストに即して洗い直された。

二部構成からなる本書はⅠとⅡで扱う問題が違う。

第Ⅰ部は視覚、触覚、嗅覚などより広い範囲の問題を扱っており、第Ⅱ部よりも多彩な展開になっている。本書の特色の一つに、基礎調査の周到さと資料引用の巧みさが挙げられる、文学や芸術における感覚表象を読み解くとき、小説や写真が分析の材料として用いられているが、その場合、テクストとの響き合いとして引き合いに出された他分野の言説は、あっと驚かせるものが少なくない。『吾輩は猫である』における容貌描写について、医学やヨーロッパに発祥する観相学との関連を指摘したのがその一例。頭蓋骨の計測に基づいて感情や智力を判別するという骨相学の流行は、西欧では十九世紀前半に終息したが、明治大正期の日本では読心術や記憶術や催眠術などとともに、科学として認知され、文学の領域にも波紋が及んでいる、と著者は言う。漱石研究は言うまでもなく、近代の身体美についての多くの論考にもこの視点は欠落している。

同じ視覚でも、本書では必ずしも物の形や色を識別する感覚を指しているとは限らない。萩原朔太郎の詩や小説について、写真がもたらした新しい視覚との関係が指摘されたが、その場合の視覚とは、いわばテクストによって神話化されたもので、生理的な経験というより、感覚の観念化をめぐる感受性の問題といえよう。

写真術の登場によって、見られることもまなざしが欲望する対象となった。三島由紀夫が自ら被写体になったことの意味についての分析は、視覚の欲望を欲望するという問題を考えさせる上で一つのヒントとなる。

光や音は波長や周波数によって言い表すことができるのに対し、匂いは数値化することはできない。しかも、近代の「視覚中心主義」のもとで、嗅覚はかつて退化した感覚と蔑まされていた。そのような文脈のなかで、匂いがどのように表象されたのか。本書は二つの角度から迫った。まず、匂いの表象が都市の公衆衛生と関連して読み解かれ、それから体臭や香水など、身体に密着して語られたテクスト群が俎上に載せられた。都市空間の表徴にせよ、個人の関係性の隠喩にせよ、匂いの言語化において、もっぱら「芳香」と「悪臭」の両極が注目され、強調されたのは興味深い。

第Ⅱ部は唱歌、童謡、民謡、舞踊を取り上げ、リズムが近代的な身体の一部としていかに組織されたかを検討した。前著『声の祝祭』は戦時中の詩の朗読を考察したが、本書はその続編ともいえる。ただ、声の中身よりも、童謡や民謡といった「声」の類別概念の創出に焦点が当てられた。

「国民の声」として民謡がどのように「発見」されたのか。用語の源流をたどっていくと、概念の受容は上っ面の模倣ではなく、国民文化の意識という、近代国家には必然的に芽生える自己イメージと関係している、ということがわかった。じっさい、民謡集の編纂は国民意識の定型化を狙って行われたものだ。西欧文化という他者と相対するとき、日本の内部にもオリエンタリズム的な欲望が刺激されるという指摘も興味を引く。

かりに学校唱歌が権力による国民文化の創出という役目を担わされたとすれば、その「対抗文化」として登場した童謡というジャンルも結果として同じ役割を果たした。近代社会は国民国家に基盤を置いている以上、対立する両極が違う方向から同じ終着点にたどりつくことがある。身体感覚が近代化していくなかで、対抗のエネルギーも制度の補完として吸収されていくという示唆は意味深い。

近代を振りかえるとき、歴史の瑣末さに引きずり回されるのではなく、むしろ今日の状況に対する強い関心を前面に出している。情報社会が人類の身体感覚にどのような影響を与えたのか。将来、人間の感覚はどこへ向かうのか。そうしたことを視野に入れ、あるいは関連させて論じているところは面白い。

【この書評が収録されている書籍】
本に寄り添う Cho Kyo's Book Reviews 1998-2010 / 張 競
本に寄り添う Cho Kyo's Book Reviews 1998-2010
  • 著者:張 競
  • 出版社:ピラールプレス
  • 装丁:単行本(408ページ)
  • 発売日:2011-05-28
  • ISBN-10:4861940249
  • ISBN-13:978-4861940248
内容紹介:
読み巧者の中国人比較文学者が、13年の間に書いた書評を集大成。中国関係の本はもとより、さまざまな分野の本を紹介・批評した、世界をもっと広げるための"知"の読書案内。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

感覚の近代―声・身体・表象 / 坪井 秀人
感覚の近代―声・身体・表象
  • 著者:坪井 秀人
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(535ページ)
  • 発売日:2006-03-01
  • ISBN-10:4815805334
  • ISBN-13:978-4815805333
内容紹介:
公と私のあわいに浮かびあがる「感覚」という問題系をとらえ、文学・映画・写真・音楽・歌謡・舞踊など様々な芸術ジャンルを近代日本の文化的=政治的文脈に再配置しつつ横断的に読み解く、新たな批評の実践。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2006年4月16日

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