書評

『東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版』(河出書房新社)

  • 2022/09/20
東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版 / 宮沢章夫
東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版
  • 著者:宮沢章夫
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(308ページ)
  • 発売日:2015-11-05
  • ISBN-10:4309023827
  • ISBN-13:978-4309023823
内容紹介:
あの時代とは何だったのか? 地下から生成し、地上へと派生していった80年代の「裏文化史」。伝説の講義録に増補、「現在」を読み解く上で必携の決定版。

「消費」幻想 VS.「かっこいい」ピテカン

1988年、日本全体の地価の総計は1164兆円で、この金を出せば、日本の25倍の広さをもつアメリカを二つ買えた。今となっては誰もが笑い話としか思えないこの虚構を信じえた時代が、日本の80年代である。

原宏之の『バブル文化論』によれば、80年代とは、こうした金銭的飽和状態を背景に、消費と所有によって他人とは異なる自己実現ができると信じた共同幻想の時代だった。簡単にいえば、ブランド(しるし)をつけ替えるだけで、新しい自分を創造できると思いこんでいたのだ。

その幻想を支えたのは、ブランドを中心に消費情報を主導した雑誌・テレビなどのメディアだった。西武百貨店がヒットさせた「おいしい生活。」というコピーは、まさにこのうつろな消費スタイルを代弁するものであり、このときからデパートはモノではなく、消費のための情報を売る場所になった(安ければ安いほどいい実用品専門の百円ショップ、すなわち90年代型消費の正反対だ)。

だが、この「夢のような消費世界が決して幸福には直接結びつかな」かったというのが、『バブル文化論』の、ある意味では分かりきった、身も蓋(ふた)もない結論である。

バブル文化論―“ポスト戦後”としての一九八〇年代 / 原 宏之
バブル文化論―“ポスト戦後”としての一九八〇年代
  • 著者:原 宏之
  • 出版社:慶應義塾大学出版会
  • 装丁:単行本(268ページ)
  • 発売日:2006-05-01
  • ISBN-10:4766412869
  • ISBN-13:978-4766412864
内容紹介:
「一九八〇年代」を語る際に、いわゆるニューアカなどの「知のモード」の影響が過度に重視される傾向があるが、八〇年代の特異性は、むしろ、"戦後"を真に脱却しつつあったこの時代… もっと読む
「一九八〇年代」を語る際に、いわゆるニューアカなどの「知のモード」の影響が過度に重視される傾向があるが、八〇年代の特異性は、むしろ、"戦後"を真に脱却しつつあったこの時代の混沌のエネルギーが抑圧から解放され花開いた"バブル文化"(ストリート文化、大衆文化)にこそ見出される。本書では、一九八四年〜八六年の間に、日本社会が"バブル文化"期に移行するとのテーゼのもと、その前/後の政治・経済状況にも目を配り、いまだ語られずにいる「八〇年代」の特殊性を浮き彫りにする。

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というわけで、「80年代はスカ(はずれ、空っぽ)だった」と「別冊宝島」が特集を組んだほどに、80年代文化=バブルという通説は一般化しているが、宮沢章夫が東大で行った『「80年代地下文化論」講義』は、その通説に収まらない視角を浮かびあがらせる。

題材は、82年に東京・原宿にできた日本初のクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」(通称ピテカン)で、ここに集った音楽や美術やファッションや舞台関係の人々の営為を、宮沢は「かっこいい」のひと言で定義する。「バブル」と「おたく」と「スカ」の80年代に対するアンチテーゼである。

「かっこいい」とは個人的な趣味の問題である。それが時代に共有されれば一般的(ポピュラー)なものになる。だが、個人性と一般性をともに超えて普遍性を求めるとき、趣味は真の文化へと昇華される。そうした普遍性の探求を宮沢は「かっこいい」と形容し、一時期の「ピテカン」にそれがあったと主張する。西武百貨店=セゾン系の文化の先で、現状に満足しない批評性を研ぎ澄ませば、ピテカン的なかっこよさに通じるだろう。

ピテカン的なかっこよさの対極には、おたく的な「内閉する連帯」があった。根暗なおたくはかっこいいピテカンに反感をもっていたが、同時に、おたくは「九〇年代的なインターネット的なコミュニケーション形式」(原宏之)の感覚的先駆者でもあった。

それゆえ、六本木のWAVEに象徴される西武セゾン系の流通業文化がつぶれたのち、おたく文化は森ビル系の不動産戦略と手を結び、同じ場所に六本木ヒルズを打ちたてる。おたく的インターネットの「内閉する連帯」が「かっこいい」文化を追い払った構図に見える、と宮沢章夫はつぶやく。だが、いままたヒルズ族にはバッシングの逆風が吹いている(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2006年)。この戦いの行方はどうなるのだろうか?
東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版 / 宮沢章夫
東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版
  • 著者:宮沢章夫
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(308ページ)
  • 発売日:2015-11-05
  • ISBN-10:4309023827
  • ISBN-13:978-4309023823
内容紹介:
あの時代とは何だったのか? 地下から生成し、地上へと派生していった80年代の「裏文化史」。伝説の講義録に増補、「現在」を読み解く上で必携の決定版。

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初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 2006年08月20日

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