政治とよく似た小売の世界
「デパートとスーパーはどう違うか?」これはなかなかに難問である。特にダイエーやイトーヨーカドーを天から“デパート”と思いこんでいる子供に説明するにおいておやだ。高級品を売るのがデパートで、安売り品を売るのがスーパーではないかしらなどと思って、「でも待てよ」とまた考えこんでしまう。最近のスーパーは決して安くないしな……。スーパー、サミット社長として小売業最前線にいる著者は、自らの体験と実態を理論化しつつ、ブラックボックスと化した流通論にきりこむ。その中できわめて明快に、マスコミが持て囃(はや)す「価格破壊」や「安売り」の論拠が薄弱であることを示す。大量に買うから安いとか計画生産するから安いとか、中間マージンや広告費がかからなくなると安いとか、そんなことはないのだ。
しかしマスコミも消費者もえてして木を見て森を見ずで、個々の商品は見ても小売業の組織全体には目をむけない。「広辞苑」ですら「小売」にまっとうな定義を与えていないと嘆く著者は、「製造業が製品を作る」のに対して「小売業は売場ないし店舗を作る」と定義することから議論を始める。そして百貨店法や大店法による規制行政が日本の小売業のスタイルを決定していった経緯に及ぶ時、流通論や小売業論に必要なのは経済学や経営学もさることながら、むしろ政治学的アプローチなのではないかと思わせる。
個々の消費者は小売店に対して強い圧力にならないから、独占的小売店は王様なみの権力を持つようになるというくだりは、個々の消費者の声が国会議員には強い圧力として届かず、政治家は常に特定の権益の擁護に走るという議論と、何とよく似ていることか。さらに規制・一極集中・法人需要の三悪追放によって、小売業本来の活性化をはかるという結論に至っては、これはもう政治による解決が要求される構造的問題の発見に他ならない。
かくて小売業論の行きつく先もまた政治なのだ。こうした問題提起に対して、果たして今のやさしい政治はこたえてくれるのであろうか。