家康の遺言の謎
【人の一生は重い荷物を背負って遠い道をゆくようなものだ。焦るな。不自由を当たり前と思えば不満もない。欲望が頭をもたげたら、貧しかった時を思い出せ。忍耐こそ長期安定の礎である。怒りは敵と思え。勝つことばかり知り、負けることを知らなければ、思わぬ禍がその身にふりかかる。自分には厳しく、人をせめるな。やり足りない方が、やり過ぎるより、上策なのだ。】(『東照宮御遺訓』を筆者により意訳)我慢して最後に勝利を手中にし、徳川の長期安定の礎を築いた家康のイメージは、その遺言とされる、この言葉から生まれ、伝わっていった面が色濃い。しかし、本当にこういう遺言を家康が残したのかどうかは、学問的に確かめられてはいない。思想史研究の若尾政希さんが、この「遺言」を伝える『東照宮御遺訓』を広範に調査されている(「『東照宮御遺訓』の形成」『一橋大学研究年報 社会学研究』39 https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/9521/HNshakai0003902190.pdf )が、それでもまだ全体像を掴むに至っていないほど、本書は、大量に、且つ多くのバリエーションを有して、日本各地に残っている。若尾さんによれば、承応年間(1652~5年)と言うから、家康が亡くなって四十年ほども経過したテキストまでしか、さかのぼり得ていないのである。
「忍耐の人 家康」像はなぜ広まったのか
むしろ、若尾さんの調査報告で大変興味深いのは、『東照宮御遺訓』が、江戸中期、貝原益軒によって改訂され、旧来の仏教風の語り口から、儒教風に変更されて、より一般に拡がっていった、という事実である。漢学者であり、『養生訓』で有名な益軒だが、むしろ江戸の出版・読書文化においてこそ、彼の果たした役割は甚大である。およそ、近代の学問の世界で、福沢諭吉を読まないことはあり得ないように、江戸においては「益軒本」こそが、知的好奇心を持つ一般読者にとっての必読文献であったと言ってよい。彼の学問は、儒教、医学、民俗、歴史、地理、教育と広範にわたったが、何よりものその該博な知識を大量の出版物によって、一般に知らしめた啓蒙家としての価値が大きかった。彼は、「養生」という長期的平和における一般人の関心に対し、生き方、生活百科、そして詩歌に代表される趣味の文芸を一体のものとして構想し、「歳時記」として伝えたのである。家康が大変健康に気を使ったと言う伝えとも、シンクロするではないか。
つまり、「忍耐の人 家康」像が事実だったかどうかは、今はさておき、このイメージこそは、長期的安定や平和、つまり「守り」の時代の心に歓迎されて、拡散していったものなのだ、ということに気付かされる。
「やり過ぎた」信長や秀吉は、英雄として確かに魅力的である。高度経済成長期の歴史小説家であり、大阪人だった司馬遼太郎は、信長の果敢と独創、秀吉の演技力と機転にスポットを当てた。勢い、家康については、忍耐の人家康のイメージを喧伝した『春の坂道』『徳川家康』の山岡荘八(佐幕藩長岡に近い魚沼出身)とは対局の、狸親父で、陰険な家康を描いた(『関ヶ原』『城塞』等)。
大河の「家康」がわれわれに突きつけるもの
さて、大河ドラマ「どうする家康」は、初回を観る限り、ナイーブというか、頼りない現代的な一青年としての家康から出発している。これが何度も「どうする?」と言うところに追い込まれ、試練をやり過ごし、あるいは乗り越えることで、やがて忍耐の人でもあり、狸親父でもある家康にどう変貌していくのか、ここがドラマの見どころなのだろう。寺島しのぶのナレーションが、家康の神君レジェンドをなぞっているのもウィットに富んでいる。現代日本は、安全・安定を是として、建前によって守られた、キレイごとの世界でもある。しかし、世界はそんなキレイごとの建前だけで動いているわけではないと、否応なく突き付けられていることは、誰の目にも明らかだ。
今川家でぬくぬくと育った家康の「どうする」は、実は我々の「どうする」なのである。キレイごとなど通用しない時代にどう生き抜き、それでも安定のためのキレイごとをどう再建したのか、あるいはできるのか、これがドラマの背景にある大きな物語のようにも思われた。
「家康」を追う旅の、最良のナビゲーション本
居心地が意外によかった人質時代。これがそもそも、今川家の人質として、最初から我慢を強いられたという通説と異なる。そこで、『家康徹底解読』の該当第2章「人質時代の家康」を紐解けば、現在歴史学では、苦労忍耐そのものの人質時代と言うイメージが疑問視され、逆に文学研究では、忍耐の人家康の青少年時代というイメージは何処から生まれたかかが、解き明かされて、自分でドラマを解釈するのに役立つ。事実の追究は、歴史の使命だが、事はそう単純ではない。多くの人々が、史上の人物を借りて語った世界観も、それが支配的であればあるほど、歴史認識であり、歴史の一部なのだ。事実の究明と、レジェンドの生成の究明は、家康たち戦国の英雄を考える上で、車の両輪だ。ドラマの見方も、事実の存否に一喜一憂するだけでなく、事実と思ってしまう時代の心をも読み解いた時、そこに豊かな世界が広がっていく。本書がこうした「家康」を追う旅の、最良のナビゲーションたりうることだけは、自信を持って言うことができる。
[書き手]井上泰至(いのうえ・やすし)
1961年生まれ。防衛大学校教授。著書に、『サムライの書斎 江戸武家文人列伝』(ぺりかん社、2007年)、『江戸の発禁本』(角川選書、2013年)、『近世刊行軍書論 教訓・娯楽・考証』(笠間書院、2014年)、 共編著に、『秀吉の対外戦争 変容する語りとイメージ 前近代日朝の言説空間』(共著、笠間書院、2011年)、『秀吉の虚像と実像』(共編、笠間書院、2016年)、『関ヶ原はいかに語られたか』(編著、勉誠出版、2017年)、『関ヶ原合戦を読む 慶長軍記翻刻・解説』(共編、勉誠出版、2019年)、『信長徹底解読 ここまでわかった本当の姿』(共編、文学通信、2020年)など。