解説

『鏡 バルトルシャイティス著作集(4)』(国書刊行会)

  • 2017/07/27
鏡 バルトルシャイティス著作集 / ユルギス・バルトルシャイティス
鏡 バルトルシャイティス著作集
  • 著者:ユルギス・バルトルシャイティス
  • 翻訳:谷川 渥
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(519ページ)
  • 発売日:1994-12-01
  • ISBN-10:4336031401
  • ISBN-13:978-4336031402
内容紹介:
天の鏡、神の鏡、魔法の鏡、アルキメデスの鏡、アレクサンドレイアの燈台、鏡占い、人工の幽霊-神話から現代の太陽炉まで、様々な鏡の科学と伝説を博捜した驚異の書。

シュヴリエは、バルトルシャイティスのこうした資質について、それが彼の仕事の出発点となった一九二〇年代ないし三〇年代におけるキュビスムの隆盛と無縁ではないことを示唆している。なるほど、キュビスムとは、それ自体、偏倚(アベラン)なアナモルフォーズをこととする幾何学的美術ではあった。師であり、また岳父でもあるアンリ・フォシヨンからまぎれもなく受け継いだ形態学的思考を時代の先端的感性と調和させ、さらにそれを境界抹消的なマニエリスム・バロック趣味によって推進すると、たとえばこの『鏡』のような本が生まれる、といえばあまりに図式的にすぎるだろうか。シュヴリエはまた、キルヒャーやポルタやミラーミに関するバルトルシャイティスのこんな言葉を引いている。

彼らを読んだとき、私は自分のものになりえたかもしれない定義を、言葉を見出しました。彼らを引用するときには、その都度できるだけ私は私自身が書いたであろうことを選びました。それは衒(てら)いではなくて、まさに親しみなのです。こうした十六世紀と十七世紀のきわめて特殊な言語におけるある種の言葉の羅列、いささか奇異(ビザール)な表現といったものがすべて私の心を打つのです。

貴重な証言だが、こうしたマニエリスム・バロック趣味も、あくまでも「知的な側面」を通して発現しえたものであることを忘れてはなるまい。「魔術的な側面」は「知的な側面」に支えられている、といってもいい。「幻想」はリアリズムを糧とするのだ。本書がいささか煩瑣なリアリズムに満ちているように見えるにしても、それこそバルトルシャイティスならではの「幻想性」構築のための不可欠の土台であるというべきだろう。いや、そもそも「幻想」とは、そのようなものではあるまいか。

そのことに多少関連するが、本書にはちょっと虚をつくような指摘がある。ほかでもない。パルミジャニーノのあの《凸面鏡の自画像》(一五二三年)に関してである。《凸面鏡の自画像》といえば、マニエリスムの聖書、グスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』(一九五七年)の記述が思い出される。「鏡の魔術」から説きおこしたホッケは、誰よりも先にパルミジャニーノの名を挙げ、そしてくだんの作品に決定的ともいえる評価を与えたのだった。一九六六年に邦訳(種村季弘・矢川澄子訳)が刊行されてからは、この書物は当の芸術家についても作品についてもいよいよわが国における言説を方向づけたといっていい。ちなみに、ホッケに直接に関係するわけではないけれども、わが国の優れた鏡論が出始めたのは、この書物の邦訳刊行後のことである。宮川淳『鏡・空間・イマージュ』(一九六七年)、坂崎乙郎『鏡の前の幻想』(一九七〇年)、多田智満子『鏡のテオーリア』(一九七七年)、由水常雄『鏡の魔術』(一九七七年)、川崎寿彦『鏡のマニエリスム』(一九七八年)……。そしてもちろん澁澤龍彥のもろもろのエッセー。ミシェル・フーコーの『言葉と物』(一九六六年)やジル・ドゥルーズの『意味の論理学』(一九六九年)が与えた衝撃も無視するわけにはいかないが、起点はやはり『迷宮としての世界』だったと思う。ホッケはそこで当の「奇怪な自画像」について、「凸面鏡による遠近法の歪曲の中で、画面の前景を、一個の巨人症的な、解剖学的にはもとより不可解な掌が占めている」と書いている。ホッケはまた「ハムレットの面差し」をした青年の顔にも触れているけれども、力点はなんといってもその肥大した手にあった。当然といえば当然だが、この作品に関するほとんどすべての言説は、「一個の巨人症的な」手の強調で一致することになろう。ところが、バルトルシャイティスによれば、この手は、わずかに肥大しているとはいえ、通常の大きさであって、実は顔のほうこそが半分の大きさに縮められているというのである。これは驚くべき指摘ではあるまいか。虚をつかれるとは、このことだろう。物に即した(ザッハリヒ)記述の端的な例といえるかもしれない。

豊饒な内容に満ちた本書の、それでもなお「文学的」「心理的」側面に物足りなさを覚える読者には、『アナモルフォーズ』の「解説」で高山氏も挙げておられ、そして最近邦訳も出たマックス・ミルネールの『ファンタスマゴリア』(一九八二年)の一読をお勧めする。これは、本書『鏡』を巧みに利用した卓抜な文学論である。バルトルシャイティスの文体に対して覚えた「渇き」を癒やしたい読者には、クリスティーヌ・ビュシ=グリュックスマンの『見ることの狂気』(一九八六年)の熱く「詩的」な文体をお勧めしたい。即物的(ザッハリヒ)ではないバロック論が良くも悪くもどんなふうになりうるのかの見本のような書物だが、遠からず邦訳をお届けできるはずである。

日本人の書いたものでは、やはりなんといっても多田智満子氏の『鏡のテオーリア』である。優雅な文体をたどりつつ鏡論の広がりを視野に収めることができよう。文庫にも入った。原著の推薦文は澁澤龍彥が書いている。その多田智満子氏に、今回、栞の文章をいただくことができたのは、この上ない喜びである。この場を借りて厚く御礼申し上げたい。

本書を翻訳する間に、私自身も、認識論的隠喩としての「鏡」と「皮膚」を対比しつつ、ひとつの芸術論(『鏡と皮膚――芸術のミュトロギア』)を書き上げる機会を得た。本書とは似ても似つかぬ「思弁的」な小著だが、鏡論の一変奏としてここで言及することをお許し願いたい。

【この解説が収録されている書籍】
書物のエロティックス / 谷川 渥
書物のエロティックス
  • 著者:谷川 渥
  • 出版社:右文書院
  • 装丁:ペーパーバック(318ページ)
  • 発売日:2014-04-00
  • ISBN-10:4842107588
  • ISBN-13:978-4842107585
内容紹介:
1 エロスとタナトス
2 実存・狂気・肉体
3 マニエリスム・バロック問題
4 澁澤龍彦・種村季弘の宇宙
5 ダダ・シュルレアリスム
6 終わりをめぐる断章

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鏡 バルトルシャイティス著作集 / ユルギス・バルトルシャイティス
鏡 バルトルシャイティス著作集
  • 著者:ユルギス・バルトルシャイティス
  • 翻訳:谷川 渥
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(519ページ)
  • 発売日:1994-12-01
  • ISBN-10:4336031401
  • ISBN-13:978-4336031402
内容紹介:
天の鏡、神の鏡、魔法の鏡、アルキメデスの鏡、アレクサンドレイアの燈台、鏡占い、人工の幽霊-神話から現代の太陽炉まで、様々な鏡の科学と伝説を博捜した驚異の書。

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