本文抜粋

『フキダシ論: マンガの声と身体』(青土社)

  • 2023/06/26
フキダシ論: マンガの声と身体 / 細馬 宏通
フキダシ論: マンガの声と身体
  • 著者:細馬 宏通
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(288ページ)
  • 発売日:2023-06-26
  • ISBN-10:4791775635
  • ISBN-13:978-4791775637
内容紹介:
一つひとつのフキダシ・記号たちを丁寧に紐解き、読者がマンガの世界観に入り込めるカラクリに迫る、新しい見方を提示するマンガ論。
ことばや身体動作、また視聴覚文化の研究を専門とする行動学者の細馬宏通(ほそま・ひろみち)さん。
『のらくろ』『新宝島』から『3月のライオン』『SPY×FAMILY』まで。時代にとらわれず幅広い作品の「フキダシ」に目を向け、その妙技を渉猟する、新刊『フキダシ論ーーマンガの声と身体』の刊行を記念して「序」の一部を公開いたします。

私たちはいかにマンガのなかの物語を読みとっているのか

マンガのフキダシについて考える。

こう書くと、怪訝に思われるかもしれない。フキダシ? 絵じゃなくて? マンガの魅力を語るとき誰もがまず考えるのは絵でありマンガ家の画力だ。小さい頃から絵を描くのが好きでマンガ家になった人の話はいくつもあるが、フキダシを書くのが好きでマンガ家になった話というのは寡聞にしてきいたことがない。何はさておき、絵のことを語るべきではないのか。

しかし一方で、フキダシがマンガの要素の中でもひときわ重要なものであることは、多くの人が認めている。「ネーム!」「マンガ家はネームに苦しめられる」で始まる萩尾望都「デクノボウ」を読めばわかるように、マンガ家はフキダシの構成に時間をかけ、フキダシの内容と配置、すなわち「ネーム」作りに心血を注ぐ。

 読者にとってもフキダシは重要だ。フキダシが視線誘導において強い力を発揮することはたびたび指摘されてきた。たとえば、夏目房之介は『マンガの読み方』で「読者は一般に人物の顔と、そこから発するセリフを追ってマンガを読む」と指摘して、視線がいかに顔とフキダシに惹きつけられるかを示している。鈴木光明は、より積極的に「フキダシには、人の目や気持ちをひきつける力があって、少しくらいつまらない文でも、フキダシの中に書いておくと、ついつい、読んでしまいます」と書いている。中川いさみは『マンガ家再入門』でフキダシの配置の重要性について考えたあと、自身の実感として「マンガって今はあんまりじっくり読まなくなっちゃったもんなー……」「吹き出しの文字だけパーっと読んでいって 絵なんか ちゃんと見ないことが多い」と漏らしている。これは、忙しい中、たくさんのマンガを読む読者に近い感覚だろう。

これほどまでに、マンガ家にとっても読者にとってもフキダシが重要なのであれば、フキダシのあり方を見ていけば、マンガを考えるためのさまざまな問題が明らかになるはずだ。

ならば、一冊をまるまる使ってフキダシのことを考えてみよう、というのが本書である。

最初に全体の構成を紹介しておこう。第一部では、本書でフキダシを考えるためのいくつかの概念、すなわち「三項関係」「関係分析」「環世界」「ゆるやかな規則」という考え方について、具体例を交えながら説明する。

第二部以降では、第一部で導入した概念を用いながら、一節につき中心となる作品例をいくつか挙げて、フキダシの多様性を考えていく。第一章から第四章では、関係分析の核となる、話者、聞き手、対象にそれぞれ注目しながら、マンガによって描き出される環世界の中でどのように三項関係が見出されていくかを考える。第五章では、内言と語りの問題を考え、これらがマンガの中で多層化する一方で、層を破って声となっていく事例を考える。第六章では、フキダシをはじめとするマンガの視覚装置自体が人物たちの注意対象となる現象について考える。第七章では、フキダシの形や配置自体がマンガの環世界を構成し、詩的な構造を作る例を考える。

第二部の各節では、短い例をいくつか取り上げ、それぞれの例で、どんなフキダシがどのように配置されているか、そのフキダシによって、わたしたちの携えていた規則はどう揺るがされ、画面に仕組まれたどんな逸脱が明らかになるか、そのことで作品の見え方はどう変わっていくかを検討していく。論じる対象としては、マンガ研究者の関心が高いであろう『のらくろ』『スピード太郎』『汽車旅行』『新宝島』といった戦前戦後の重要作はもちろん、フキダシを考えるヒントを与えてくれる作品をできるだけ幅広い時代や分野から選んだ。とは言え、マンガの世界はあまりに広い。取り上げたのはそのうちのごくわずかであることをお断りしたい。なお、現代のマンガで見られるようなフキダシがどのような歴史的経緯によって生じたかについて興味を持たれた方のために、絵の中の発話、すなわち「画中スピーチ」の歴史を付論として記した。

 本書では、何かの仮説を検証するかわりに、わたしたちがマンガの中でどんな逸脱と出会い、マンガをどう捉え直すことができるかを、探索的に分析していく。ものごとを探索的に考えることは、旅に近づく。本書は、さまざまなフキダシを訪ね歩く旅でもあり、一種の紀行文集でもある。まずは第一部を読んでいただければ、旅の道具や態度をつかんでいただけるだろう。第二部以降は、節ごとに独立した論になっているので、読んだことのあるマンガ、好きなマンガを扱った節から先に読んでいただいても構わない。読んだことのないマンガを扱った節についても、フキダシを手がかりとしたブックガイドとして、読み進めていただければありがたい。

[書き手]細馬 宏通
フキダシ論: マンガの声と身体 / 細馬 宏通
フキダシ論: マンガの声と身体
  • 著者:細馬 宏通
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(288ページ)
  • 発売日:2023-06-26
  • ISBN-10:4791775635
  • ISBN-13:978-4791775637
内容紹介:
一つひとつのフキダシ・記号たちを丁寧に紐解き、読者がマンガの世界観に入り込めるカラクリに迫る、新しい見方を提示するマンガ論。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
青土社の書評/解説/選評
ページトップへ