書評

『小沼丹全集〈第1巻〉』(未知谷)

  • 2023/09/09
小沼丹全集〈第1巻〉 / 小沼 丹
小沼丹全集〈第1巻〉
  • 著者:小沼 丹
  • 出版社:未知谷
  • 装丁:単行本(744ページ)
  • 発売日:2004-06-01
  • ISBN-10:4896421019
  • ISBN-13:978-4896421019
内容紹介:
端正な都会的感覚と穏かな悠然とした眼ざし。格調高い文章が醸しだす詩情と追憶、ユウモアとペイソス。-醇乎とした小沼文学のすべて。本巻には初期作品四作と未刊作品を収録する。

小説の達人の技巧極めた作品群

小沼丹の作品の魅力は、登場人物の生を浸す微妙な気配の照りかげりにある。

日常生活の細々としたできごとを端正な日本語でつづり、微苦笑的なユーモアをかもしだしながら、そこに一瞬、人生のふかい哀感を結晶させる。いわゆる「大寺さんもの」の短篇(たんぺん)や、名作「懐中時計」などには、そうした小沼文学の特質がみごとに浮き彫りにされている。

主人公と作者のすがたを虚実の皮膜一枚へだてて重ねる手ぎわもあざやかだ。小沼丹は日本の私小説の伝統を最もデリケートに継承する作家のひとりなのだ。

だが、そんな小説の達人が一朝一夕になったものでないことは、この『小沼丹全集』第一巻を読めばよくわかる。

『村のエトランジェ』に代表される初期小沼丹は、極めつきの技巧派である。たとえば、巻頭を飾る「紅い花」と表題作「村のエトランジェ」は、ともに男女関係のもつれによる殺人の意外性を扱っている。陰惨に書こうと思えばいくらでも陰惨に書ける題材だが、どこか無責任なユーモアが漂っているのは、事件をながめる作者の目が醒(さ)めていて、筆に絶妙の抑制がきいているからだ。だからこそ、そこにかいま見える人生の一瞬の魔の刻が、読者の頭に鋭く刻みこまれる。

たくまぬ味わいではない。たくみにたくんだ演出の冴(さ)えである。

小沼丹は、女教師が探偵になる洒落(しゃれ)たミステリー連作『黒いハンカチ』(本巻所収)の作者でもあり、いま再評価の機運も高いが、それは技巧派としての小沼文学の特色の端的なあらわれなのだ。

しかし、四十代で妻と母をつづけて亡くしてから、人の死を物語の仕掛けにするような作風から離れ、本全集二巻以降に読まれる独自の世界を開いていく。

この第一巻には、作者が生前ついに単行本化しなかったデビュー作「千曲川二里」が収められている。作者が本名で登場し、懐かしい親戚(しんせき)を訪ねる話だが、そのとき「私の感じたものは、親しみのある雰囲気と共に、一種のものかなしい気持であつた」との一文がある。作家は出発点に帰るというが、これが小沼丹の小説的感情の原点であるにちがいない。
小沼丹全集〈第1巻〉 / 小沼 丹
小沼丹全集〈第1巻〉
  • 著者:小沼 丹
  • 出版社:未知谷
  • 装丁:単行本(744ページ)
  • 発売日:2004-06-01
  • ISBN-10:4896421019
  • ISBN-13:978-4896421019
内容紹介:
端正な都会的感覚と穏かな悠然とした眼ざし。格調高い文章が醸しだす詩情と追憶、ユウモアとペイソス。-醇乎とした小沼文学のすべて。本巻には初期作品四作と未刊作品を収録する。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 2004年6月27日

朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
中条 省平の書評/解説/選評
ページトップへ