書評
『小沼丹全集〈第1巻〉』(未知谷)
小説の達人の技巧極めた作品群
小沼丹の作品の魅力は、登場人物の生を浸す微妙な気配の照りかげりにある。日常生活の細々としたできごとを端正な日本語でつづり、微苦笑的なユーモアをかもしだしながら、そこに一瞬、人生のふかい哀感を結晶させる。いわゆる「大寺さんもの」の短篇(たんぺん)や、名作「懐中時計」などには、そうした小沼文学の特質がみごとに浮き彫りにされている。
主人公と作者のすがたを虚実の皮膜一枚へだてて重ねる手ぎわもあざやかだ。小沼丹は日本の私小説の伝統を最もデリケートに継承する作家のひとりなのだ。
だが、そんな小説の達人が一朝一夕になったものでないことは、この『小沼丹全集』第一巻を読めばよくわかる。
『村のエトランジェ』に代表される初期小沼丹は、極めつきの技巧派である。たとえば、巻頭を飾る「紅い花」と表題作「村のエトランジェ」は、ともに男女関係のもつれによる殺人の意外性を扱っている。陰惨に書こうと思えばいくらでも陰惨に書ける題材だが、どこか無責任なユーモアが漂っているのは、事件をながめる作者の目が醒(さ)めていて、筆に絶妙の抑制がきいているからだ。だからこそ、そこにかいま見える人生の一瞬の魔の刻が、読者の頭に鋭く刻みこまれる。
たくまぬ味わいではない。たくみにたくんだ演出の冴(さ)えである。
小沼丹は、女教師が探偵になる洒落(しゃれ)たミステリー連作『黒いハンカチ』(本巻所収)の作者でもあり、いま再評価の機運も高いが、それは技巧派としての小沼文学の特色の端的なあらわれなのだ。
しかし、四十代で妻と母をつづけて亡くしてから、人の死を物語の仕掛けにするような作風から離れ、本全集二巻以降に読まれる独自の世界を開いていく。
この第一巻には、作者が生前ついに単行本化しなかったデビュー作「千曲川二里」が収められている。作者が本名で登場し、懐かしい親戚(しんせき)を訪ねる話だが、そのとき「私の感じたものは、親しみのある雰囲気と共に、一種のものかなしい気持であつた」との一文がある。作家は出発点に帰るというが、これが小沼丹の小説的感情の原点であるにちがいない。
朝日新聞 2004年6月27日
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