生命体の多元的世界こそが現実
チャットGPT(生成AI)の活躍もあり、AIが人間を超えるという言葉が現実味を帯びてきた。人間を生きものと考えている者として、心の中で人間は機械ではないと叫んでいるのだが、情報処理という点で両者が同じに見え始めていることは確かだ。認知科学でも「精神の機械化」が進み、人間を機械と見るようになった。これを導いたのが1940年代に生まれた「サイバネティクス」である。この学問の発案者代表がN・ウィーナー。フィードバックというメカニズムがあれば目的論的行動を機械論で扱えると言ったのだ。ここで、神経生理学者のW・マカロックが神経のはたらきは機械として理解でき、そのような機械をつくれば神秘の感覚は消えると言った。この考え方を具体化したJ・フォン・ノイマンのデジタル・コンピュータによって「精神の働きはコンピュータにおける情報処理と同じ」という「コンピューティング・パラダイム」が現実化し、人間と機械を同一システムとみなす流れができた。
ここでおみごとと納得してはいけない。本論はここからだ。ウィーナーは世界に不確かさを見て、「一元的な神の視点から俯瞰的に描写される世界ではなく(中略)、生き延びるための視点からみた個々の生命体の多元的世界」こそ現実と捉えたとされる。評者と重なる世界観である。ウィーナーは、主流とは異なるパラダイムを求め、これが本書のタイトル「人間非機械論」につながるもう一つのサイバネティクスを生んだ。こちらこそが本質であると考える著者は、これに「サイバネティック・パラダイム」という名を与える。
面倒なパラダイムなので、途中で放り出したくもなったのだが、人間機械論だけで生成AIだメタバースだという声が大きくなるのは問題だとの思いで、一つ一つの言葉をていねいに追っていった。
一元的世界論での観察者は真理が独立して存在すると信じるが、多元的世界では、個々の観察がいかになされているかを知らなければならない。つまり観察の観察が必要となる。これまでのサイバネティクスがファースト・オーダーの観察だけですませていたのに対し、セカンド・オーダーの観察もしなければならないのだ。これは観察者、つまり我々人間自身について語らなければならないことを意味する。人間を含む生命体はオートポイエーシスという自律システムをもち、それぞれが唯一無二の存在としてアイデンティティーをもつ。私たちは、自律的に世界を認知しており、世界はここからつくられているのである。このような見方を構成主義と呼ぶ。
セカンド・オーダー・サイバネティクス、オートポイエーシス、構成主義の三つの考え方でできている新しいサイバネティクスに合う機械は存在しない。つまりここでは、人間と機械は明確に区別されるのである。難しいけれど、日常感覚を支える理論が着実に生まれていることは確かだ。
著者は、このサイバネティクスに呼応して、情報は生命システムと不可分であり、本来「意味」を持つものとして捉えるものだという生命論的「情報学」を創り出そうとしている研究者の一人である。ここから描き出される、構成主義に基づく教育など、機械論とは異なる未来が見えて非常に興味深い。