書評

『音楽家の世界: クラシックへの招待』(河出書房新社)

  • 2023/10/21
音楽家の世界: クラシックへの招待 / 吉田 秀和
音楽家の世界: クラシックへの招待
  • 著者:吉田 秀和
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(256ページ)
  • 発売日:2023-05-09
  • ISBN-10:4309419623
  • ISBN-13:978-4309419626
内容紹介:
戦後まだ日の浅い1950年刊の、クラシックの魅力をやさしくかつ深く伝える決定版の待望の文庫化。クープラン『クラブサン組曲」からショスタコーヴィチ「第5」まで、53人の66曲。究極の名曲入門。

「吉田節」の原点、70年へて古びず

実に七十年以上前に刊行された書物の再文庫化である。音楽の語り部秀和さん(敬愛する大先輩に非礼の表現かもしれないが、ご厚誼を戴いていたものの一人、已み難いものとして諒とされたい)が、その執筆活動を始められた初期の作品である。河出文庫には「吉田文庫」とでも言うべき一角があるが、そこに得難い一つが加えられたことになる。内容は、クープランから始まってショスタコーヴィチまで、五十三人の作曲家の代表作を取り上げて、ほぼ年代順に紹介する六十六の文章からなる。数字が合わないのは、一人の作曲家から複数の作品が選ばれている事例があるからで、最も多いのはベートーヴェンの四作品、バッハ、モーツァルト、ドビュッシーの三作品と続く。これだけでも批評家としての著者の判断が鮮明に読み取れると言えようか。一つ、現代の批評家が同じ課題を与えられたら、先ずは決してやらないことがあるのは興味深い。ヨハン・シュトラウスの『美しき青きドナウに』とスメタナの『モルダウ河』の間に挟まれて、フォスターの『スワニー河(故郷の人々)』が取り上げられているのである。

秀和さんを「音楽の語り部」と先に表現した。この若書きの文章でも読み取れるが、「達意の文章」という表現がこれほどぴったりな批評家の例を私は知らない。批評家と言えば、読者を相手に「どうだ」と言わんばかり、判っても判らなくても、読者にご託宣を押し付ける例が多いのに、秀和さんの文章は、まるで違う。これは彼の文章表現法に貫かれている原則である。ただ私のような秀和ファンは、特に放送における彼の「語り口」に痺れてきたのである。とりわけ欧米の作曲家の名前、あるいは音楽用語として使わなければならないカタカナ語が、はっきりとカタカナ語(つまり日本語)として聞き取れるように発音されながら、一方では、元のヨーロッパ語の綴り字がきちんと頭に思い浮かぶようにもなっている、この語りの「芸」は、誰にも真似のできない、「吉田節」とでも言おうか。不世出の「語り部」と言いたい所以である。そして、この書の文章にも、その息遣いが読み取れるような思いをしながら読む楽しさがある。

丁寧な楽曲分析を土台にしながら、一つ一つの作品の内容に寄り添って選ばれた表現の見事さ。一例を挙げる。ベルリオーズの『幻想交響曲』の第四楽章「断頭台への行進」。「ついに恋人を殺した青年は(中略)処刑台へひかれる。(中略)ぞろぞろついて来て悪罵を浴びせる群集。鋪石(ほせき)の上の重い車の響き。断頭台に立った青年の瞼に、一瞬恋人の姿がうかぶ。とたんにがっという弦楽の強奏。ころがり落ちる首。野次馬たちの残忍な歓呼の声。大革命の血腥(ちなまぐさ)い経験をへたフランス人らしい熱情」。どうですか。こんな紹介を受けたら、誰だって、そんな音楽聴いてみようじゃないかと思うだろうし、聴き慣れた人でも、そうだったのか、もう一度確かめてみよう、という誘いを受けませんか。

我が国では批評と言えば、「けなす」ことと言わんばかりの「常識」がまかり通るが、ギリシャ語の原語に戻らなくとも、「クリティク」とは「識別する」ことであり、「判断する」ことである。その立場を見事に貫きながら、独自の世界を切り開く出発点ともなった、一批評家の文章、大事にしたいという思いしきり。
音楽家の世界: クラシックへの招待 / 吉田 秀和
音楽家の世界: クラシックへの招待
  • 著者:吉田 秀和
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(256ページ)
  • 発売日:2023-05-09
  • ISBN-10:4309419623
  • ISBN-13:978-4309419626
内容紹介:
戦後まだ日の浅い1950年刊の、クラシックの魅力をやさしくかつ深く伝える決定版の待望の文庫化。クープラン『クラブサン組曲」からショスタコーヴィチ「第5」まで、53人の66曲。究極の名曲入門。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2023年6月17日

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