書評
『大人の流儀』(講談社)
安いものには裏がある
伊集院静のエッセイ集『大人の流儀』に、特別なことは何も書かれていない。叱らなければならないときは叱れ、危険を察知したらただちに対処せよ、空気よりも流れを読め。「流儀」というよりも、「あたりまえ」のこと、「常識」である。読者も「ええっ? そうなの?」とは思わないはずだ。きっと「うんうん。そうそう」とうなずきながら読んでいる。でも、大人の流儀がなかなか通じなくなったから、この本が多くの人に読まれているのだろう。そういえば山口瞳の『礼儀作法入門』(新潮文庫)はロングセラーである。〈世のお父さんの飲むビールまで節約じゃおかしい。大人の男が仕事の後にやる一杯をケチってはダメだ。それに何でも安いのがいいという発想も愚かだ。物には適正な値段、つまり価値がある。安いものは結果として物の価値をこわすことになる〉と著者は言う。激安焼き肉による食中毒死事件の後だけに、なんとも染み入る言葉である(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2011年)。物の価値どころか、お腹をこわし、生命まで奪われた。安けりゃいいというものではないし、安いものには裏がある、というのが大人の感覚だろう。
本書を読んで初めて知ったこともある。墓参は昼までにすませるようにと書かれている。午後になると時間の吉凶が悪くなるのだとか。私は坊主の孫なのに知らなかった。もしかして宗派によって考え方が違うのか?
私のような世代にとって、胸を打たれるのは「妻と死別した日のこと」および巻末の「愛する人との別れ」という章だろう。夏目雅子との出会い、闘病、死別について書かれた文章である。これまで伊集院静は夏目雅子について書いてこなかった。読みながら、化粧品のCMや映画、テレビドラマの映像がまぶたに浮かんできた。そういえば田中好子も最期のメッセージで彼女について触れていたっけ。
伊集院静の文章は淡々としていて大げさなところがなく、人を感傷的にさせる。
ALL REVIEWSをフォローする