「反精神医学」から治療論を見出す読み
ミシェル・フーコーという名前から人は何を連想するだろうか。一望監視装置(パノプティコン)? 生権力批判? 「人間の消滅」? スキンヘッドの戦闘的知識人? いずれにせよ、後世に与えた影響という点では、彼ほど「知の巨人」の呼称が似つかわしい存在もまれであろう。フーコーは、主著『狂気の歴史』における精神医療への苛烈な批判でも知られている。日本の精神医療における彼の受容も、反精神医学の文脈においてなされてきた。本書はそうした従来の位置付けを批判的に検討しつつ、フーコー晩年の著作に特異な治療論を見出(みいだ)そうとする、きわめて野心的な試みである。
著者はフランスで精神分析ならぬ哲学を学んだ精神科医。つまり哲学は「教養」ではなく「本職」である。よって本書の冒頭は、フーコーの倫理思想の緻密な検討にあてられている。師であるバシュラールの導きでカント研究に打ち込んだ若きフーコーは、カントの体系に、次のような基本想定を見出す。すなわち、人間とは超越論的な主体性と経験的な主体性との奇妙な二重体であり、両者は交わることのないねじれた関係にある、と。フーコーは、カント以降の思想史では、人間を二重体のどちらかに還元しようとする運動が繰り返されてきたと批判的に述べる。そして、「自己の自己に対する関係を確立すること、自らを規定する権力に働きかけながら自己自身を構成してゆくこと」こそが、先のねじれた二重体の問題を乗り越えさせると想定し、その思考を晩年に再度展開したのである。この点については後述する。
著者によればフーコーは、自身が同性愛者として「異常者」に分類されてしまう危惧から精神医学の検討に向かった。哲学的、心理学的な探求のもとでは「正常な人間」なるものは存在しない。にもかかわらず、精神医学だけは正常性を科学的に確定し、治療によって人を正常性の鋳型にはめることができると自称する。こうした「規範化」への批判が『狂気の歴史』の基調低音となっている。しかし同書におけるフーコーの記述には問題も多かった。ルネサンス期の「阿呆(あほう)船」は実在しなかったし、ピネル(精神病者を鎖から解放したとされる医師)が規範化を推進したという批判も史実とは異なる。ついでに言えば中井久夫が批判したように、同書では「狂人」もその対象となった「魔女狩り」についても触れられていない。
著者が指摘するように、『狂気の歴史』では「狂気の言語」が称揚され、つまるところ狂気に対してはいかなる治療介入も行うべきではなく、そのありのままの発露に委ねることが推奨されている。この徹底した反精神医学の主張には、しかし少なからず問題があった。「狂気の言語」ゆえに他者とコミュニケーションできず、他者からのケアを常に必要とする「狂人」は、決して自由ではないということ。彼が自由と自律を回復する道のりは、一つの「社会化」でありうること。しかしフーコーは、社会化を規格化と同一視して退けてしまう。果たしてそれは正しかったのか。
以上のように、著者はフーコーの精神医学批判を批判しつつ、最後に驚くべき視点を提起する。フーコー最晩年の「自己の技法」論に、精神療法の指針を見出そうというのだ。事実、フーコーは次のように述べている。「自己の実践は、これまで自己のなかでけっして現れる機会がなかった本性と自己を一致させることによって、自己を解放することを目的とする」。この時主体は、「規格化」によってではなく、ただ一回の過程のもと、ただひとりの自分自身として主体性を回復する。このとき自己への配慮は他者への配慮につながり、成熟と治癒が可能となる。
実はこの解放は、先に述べた「二重体の問題」を乗り越える過程そのものである。ここで再び中井久夫の言葉を想起しよう。「自己は世界の中心である(超越論的主体)と同時に、世界の一部でもある(経験的主体)ということです。この二つのことを同時に感じとることが精神健康の目安のひとつです<( )内は評者>」。そう、二重体の乗り越えは「健康」の条件たり得るのだ。
評者からみても、これはすぐれた治療論にほかならない。もちろんここには、どうすれば自己が解放されるかという具体的な方法論はない。いま言えることは、認知行動療法であれマインドフルネスであれオープンダイアローグであれ、すぐれた治療はこうした「自己の解放」に帰結――「目的」ではなく――するであろう、ということのみである。ただ一点、追記するなら、本書で紹介される「パレーシア(真理を率直に語ること)」は、師弟関係では有効であり得ても治療関係では難しいだろう。なぜなら治療上で有益なのは「真理」よりも「無害な非真実(ヴォネガット)」のほうなのだから。
ともあれ、フーコーによる治療論という斬新な視座を提起したのみならず、フーコーの問題をフーコー自身に擁護せしめてみせた著者の手腕には、もはや脱帽するほかはない。