書評

『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』(白水社)

  • 2024/01/10
遠きにありて、ウルは遅れるだろう / ペ・スア
遠きにありて、ウルは遅れるだろう
  • 著者:ペ・スア
  • 翻訳:斎藤 真理子
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(212ページ)
  • 発売日:2023-01-21
  • ISBN-10:4560090793
  • ISBN-13:978-4560090794
内容紹介:
「韓国文学史で前例なき異端の作家」による、待望の邦訳!著者は1965年ソウル生まれの女性作家。イメージに富むと同時に生硬で鉱物的な破格の文体を用い「韓国文学史で前例なき異端の作家」… もっと読む
「韓国文学史で前例なき異端の作家」による、待望の邦訳!

著者は1965年ソウル生まれの女性作家。イメージに富むと同時に生硬で鉱物的な破格の文体を用い「韓国文学史で前例なき異端の作家」と評価され、今までに多数の短篇集と長篇、エッセイ、詩作品を発表。常に独自のスタンスで揺るぎない地位を占める韓国女性作家のトップランナーである。また、ハン・ガンの英訳者として知られるデボラ・スミスがぺ・スアの作品を高く評価しており、既に3冊を英訳している。これまでの作品は、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、中国語などにも翻訳されている。本書は、今日の韓国作家に多大な影響を与え続ける著者の初の邦訳となる。
物語の舞台は「ソウルを連想させる人口1000万人都市」であるが、はっきりとは書かれていない。午後四時にベッドで目を覚ました「私」は、旅館の一室におり、存在を規定する記憶がすべて消えていることを知る。椅子には黒い服を着た同行者が座って本を読んでいた。同行者も、自分の存在を規定する記憶をすべて失っていることに気づく。広げられた新聞に、ジョナス・メカスの訃報記事があることから、日にちは一月二十三日頃だとわかる。巫女に会い、「ウル」と名付けられた私は、感覚と予感をもとに、様々なものにいざなわれ、自分が何者であるのかを夢幻的に探っていく。〈はじまりの女〉という原初的なイメージが、ときに激烈な感情をともなって変遷しながらウルの前にあらわれる。「それこそが私の存在の唯一の根拠であるという確信」が芽生えて……。
全篇を通して、存在の不安、孤独、愛、性、死などの人間の本質を体感するような謎めいたイメージが横溢し絡み合う。世界と自己をまったく新しく捉え直す文学の挑戦!

「記憶の消失」題材、異色ぶり際立つ

記憶の消失は文学が好む題材であり、とくに近年は「政治的記憶喪失」を描くものが印象に残る。国家や共同体が人びとの意識を操作するある種の「メモリサイド」だ。戦争後の集団的記憶喪失を描いたカズオ・イシグロの『忘れられた巨人』、記憶を消された移民たちを描くJ・M・クッツェーの『イエスの幼子時代』……。どれも不条理な物語だが、記憶をめぐる『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』の異色ぶりは際立っている。

物語の背後には黒幕めいた者がいそうな気もするが、そんな詮索はしても無駄だとすぐにわかる。第一部の初めに、ある午後目覚めた私は「私の存在を規定する記憶がすべて消えていることを知った」とある。同室にいた男性も同様で、テーブル上の新聞――ジョナス・メカス監督の訃報掲載――から日付の見当をつけ、「巫女」に会う予定があることを知らされる。一体自分たちは何者なのか?

三つの物語が並んでいるが、時系列順に話が進行する「クロノス時間」的な構成でも、心に生起する出来事を追う「カイロス時間」的な展開でもない。三編の繋がりは、ウルと呼ばれる女性、結婚式へ向かう船、写真を撮ること、踊ること、演ずること、母の死、子ども時代、海、稲妻、犬……。

Ur―が「原初の」を意味するとおり、「私」は自分を<はじまりの女>と認識する。とはいえ、「私」は同行者と一体なのかもしれず、「私は彼という溶媒の中に落ちた一滴の青インクだった」とも言う。

第二部は「女」を主語とする三人称文体に替わる。「女」はどこかの家に入っていき、突如、「自分を、たった今霊魂が宿った瞬間のミルク色の蠟燭のように感じる」。思い出すことを思い出したようだが、それは記憶というよりも、「生涯にわたって輝く月光のように私の上を白く通過」する何かなのかもしれない。

第三部の主語は「ウル」だ。学校らしき場所。黒いフェルト帽の男が現れ、ウルはその他者の目を通じて初めて自分の過去を見る。挿話はパーソナルな色合いを濃くするが、それはウル(だけ)の記憶ではないだろう。

脈絡があるのかないのか判然としない語のつらなり。たとえば、第一部の「私は誰を知っているというのだろう? 考えてみたが犬は吠えなかった」という箇所。「考えてみた」ことと「犬が吠えなかった」ことに逆接関係はない。いや、あるのか? 文脈の関節がぽきぽき脱臼する快感がある。

あるいは、同じく第一部に急に出てくる「~が」という格助詞。韓国語の「は」と「が」に当たるものを、訳者は忠実に訳し分けているはずだ。「私は何々した、言った」という係助詞を使った文体のなかに、突然「私が言った」「私が割って入った」などと出てくる。「~が」は「~」の部分に新情報が入る場合に使われることが多く(「あの人が犯人です」のように)、「私が割って入った」と言われると、文脈上新たな人物が出てきたような印象を受ける。しかも一人称文体なので、「私」が「私」から乖離(かいり)して傍見(かたえみ)しているような効果もある。自分の存在を規定する記憶をすべて失っているのだから当然か。

文章そのものが原初(ウル)の雲海から現れてきたような振る舞いをする、物語の「素」が無限につまった本だ。永遠に読んでいられる。
遠きにありて、ウルは遅れるだろう / ペ・スア
遠きにありて、ウルは遅れるだろう
  • 著者:ペ・スア
  • 翻訳:斎藤 真理子
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(212ページ)
  • 発売日:2023-01-21
  • ISBN-10:4560090793
  • ISBN-13:978-4560090794
内容紹介:
「韓国文学史で前例なき異端の作家」による、待望の邦訳!著者は1965年ソウル生まれの女性作家。イメージに富むと同時に生硬で鉱物的な破格の文体を用い「韓国文学史で前例なき異端の作家」… もっと読む
「韓国文学史で前例なき異端の作家」による、待望の邦訳!

著者は1965年ソウル生まれの女性作家。イメージに富むと同時に生硬で鉱物的な破格の文体を用い「韓国文学史で前例なき異端の作家」と評価され、今までに多数の短篇集と長篇、エッセイ、詩作品を発表。常に独自のスタンスで揺るぎない地位を占める韓国女性作家のトップランナーである。また、ハン・ガンの英訳者として知られるデボラ・スミスがぺ・スアの作品を高く評価しており、既に3冊を英訳している。これまでの作品は、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、中国語などにも翻訳されている。本書は、今日の韓国作家に多大な影響を与え続ける著者の初の邦訳となる。
物語の舞台は「ソウルを連想させる人口1000万人都市」であるが、はっきりとは書かれていない。午後四時にベッドで目を覚ました「私」は、旅館の一室におり、存在を規定する記憶がすべて消えていることを知る。椅子には黒い服を着た同行者が座って本を読んでいた。同行者も、自分の存在を規定する記憶をすべて失っていることに気づく。広げられた新聞に、ジョナス・メカスの訃報記事があることから、日にちは一月二十三日頃だとわかる。巫女に会い、「ウル」と名付けられた私は、感覚と予感をもとに、様々なものにいざなわれ、自分が何者であるのかを夢幻的に探っていく。〈はじまりの女〉という原初的なイメージが、ときに激烈な感情をともなって変遷しながらウルの前にあらわれる。「それこそが私の存在の唯一の根拠であるという確信」が芽生えて……。
全篇を通して、存在の不安、孤独、愛、性、死などの人間の本質を体感するような謎めいたイメージが横溢し絡み合う。世界と自己をまったく新しく捉え直す文学の挑戦!

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2023年2月11日

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