賃金格差の実相を隠す「神話」
ドキリとさせられるタイトルだ。内心では過分な給料と思いつつも黙って受け取る人、きつく危険な仕事なのに生活もままならないと憤る人と様々だが、では誰がいくらをなぜもらうのだろうか。副題に「賃金と経済にまつわる神話を解く」とある。「神話」とは経済学者と世間に信じられている通説。給料は各人が組織に貢献した成果に相当する(人的資本論)、ないし仕事固有の重要性を反映するとされる。給料は個人の働きや職種の重要性という「価値」を反映しているという常識に、社会学者が果敢に異を唱えている。
2018年にプライベート・エクイティ会社のトップで7億8650万ドルを稼いだ人がいる。一方、需要が拡大し人手不足となった訪問介護員は、個人事業主でなければ2015年の年収は1万5000ドル余り。「ケアする人がケアされない」状況にある。この大きな差は経営能力やIT技能、職種の重要性では説明できない。それに対し著者が格差の源として注目するのが経営者と株主、労働者の権力闘争、つまり職場における社会的な力関係である。「神話」にはその実相を見えなくする作用がある。
20世紀半ばには、労働者の利益は組合が代弁し、大卒でなくても健康保険や福利厚生も含め十分な給料が支払われていた。経営者と労働者が利益を分け合った時代(経営者企業)である。そこに「経営者は株主の代理人たれ」と唱えて割り込んだのがアメリカの経済学者、M・フリードマンだった。株主が敵対的買収によって経営者の首をすげ替えたり、経営者の報酬を株で支払い結託したりするようになると、労働者が圧迫され始める(株主資本主義)。労働者が技能を発揮し収益を上げた分も株主と経営者が吸い上げ、自分たちの懐に入れるようになった。
労働者は権力を剥奪されていった。労働者が成果分を得るには同僚の給与や会社の財務を知る必要があるが、そうした情報は機密とされた。ライバル企業への移動や引き抜きも禁止(競業避止)された。また組合を弱体化させるため、組合員の仕事は工場で自動化し、外注に回したりした。正社員に中核的な業務を負わせる一方、それ以外は派遣労働に置き換えて、福利厚生の支払いを削減したのである。組合加入率が下がるとともに平均賃金は下落した。「神話」では高等教育進学率の高まりによって説明される大卒の賃金上昇も、むしろ組合の弱体化により非大卒の賃金が低落したことによるとしている。
分配についての権力闘争がいったん収束すると、賃金体系は模倣されて業界に波及し、慣行となる。かくして製造業や鉱工業というかつての「良い仕事」だけでなく、小売りやファストフード、清掃、食肉加工、介護等が「悪い仕事」に分類されていく。
とはいえ格差は経済学者も問題視している。「神話」にもとづくならば再分配以外の対策は高等教育への進学になるが、著者は「職場内の力関係を再構築する」こと、とりわけ最低賃金の引き上げを提案している。賃金は労働の需給で決まるのではないから雇用は減らず、一方で生活苦による自殺率や再犯率が低下するという。本書は「個人」に注目することで力関係の現状維持を図る経済学に向け、「関係」を重視する社会学が仕掛けた権力闘争でもある。