はじめて本屋で見かけたときは、マジ、ムカつきましたね。「どうせオイラは育ちが悪いよ、ケッ」と。
諏内(すない)えみ『「育ちがいい人」だけが知っていること』(ダイヤモンド社・1540円)の発売は今年2月。長くベストセラー・ランキングの上位にある。それだけ「育ちがいい」の吸引力は強いのだ。
特別なことは書かれていない。「顔見知りでなくても目礼、会釈を」とか、正しい靴の脱ぎ方とか、「家族の自慢は品がない」とか。257項目もの「マナー以前の常識」が書かれているが、この程度のことは、たとえば茶の湯の稽古を1年も続け、茶事などを経験すれば、おのずと身につくものだ。
著者はやたらと「育ち」を連発するが、ここに並べられていることは育ちとは関係ない。自分の立ち居振る舞いが他人の目にどう映るかを意識し、相手の身になって考える習慣があれば、特に気にすることではない。いくら育ちがよくて、お祖父さんが総理大臣だったり、お父さんが有名な菓子メーカーの社長だったりしても、人の痛みがわからない人はいるのである。
1970年に出た『冠婚葬祭入門』はミリオンセラーになり、続編、続々編や図解編まで出た。副題は「いざというとき恥をかかないために」。著者の塩月弥栄子は裏千家家元の娘だった。大ヒットした背景には、高度経済成長がある、というのが私の仮説だ。農村の共同体から出て都会で働く若者たちには、結婚式や葬儀に参列するときのマナーについて教えてくれる人がいなかった。困った彼らを救ったのが塩月の新書だった。
『「育ちがいい人」だけが知っていること』にも似たようなことが言えそうだ。赤ん坊が親を選べないように、「育ち」は自分で選べない。だが世の中には「お受験」だの「婚活」だの、「育ち」が左右する(かもしれない)と思われているものがある。「育ち」を手に入れられなかったと思っている人は焦るかもしれない。この本が売れ続けている理由はそこだろう。