記憶さえ不安になるほどの謎
油断のならない小説。読んでも読んでも、なかなか全貌が見えてこない。まるで霧につつまれた山を登っていて、自分の位置がわからないような感じ。そもそも語り手の「私」は何者なのか。ようやく「私」が名乗りを上げるのは小説の真ん中あたり。そこから結末へ近づくに従って、だんだんと霧が晴れ、視界が広がっていく。なんて気持ちがいいんだ。小説を読む快感。始まりは7月の雨の夜。38歳の丸田優(まるたまさる)にスマホのショートメッセージが届く。「今年の冬、彼女はおまえの子供を産む」と書かれている。奇妙な文章だ。今年の冬というのだから、4か月か5か月後だろう。ならば、すでに「彼女」は妊娠しているはずだ。しかし丸田優は独身であり、身に覚えがない。誤送信なのか、それとも冗談なのか。「彼女」とは誰のことか。まるで丸田優は現代の聖ヨセフではないか。
聖ヨセフには主の使いが夢に現れたが、丸田優はスマホに現れた送信者の番号をタップした。だが、コールし続けても相手は出ない。翌月の中旬、3度目に電話すると、やっと出た相手から、送信者はもうこの世にいないのだと告げられる。あのメッセージはどういう意味なのか。読者は小説の最後までこの謎に引っ張られていくだろう。
小説の軸には4人の少年少女がいる。まず、丸田優と丸田誠一郎(せいいちろう)。姓が同じで顔つきも似ていて、他人はときどき見分けがつかなくなる。そこで転校生の佐渡理(おさむ)が、それぞれをマルユウ、マルセイと名づける。ただし、姓と顔つきは似ていても、性格はずいぶん違う。仲良し3人の男子に、女子の杉森真秀(まほ)が加わる。
男子3人は小学校3年生のときに不思議な体験をした。近くの天神山でUFOを見たのだ。その後、マルユウとマルセイは新聞記者にうながされて現場で取材を受ける。新聞にはふたりの後ろ姿の写真も掲載され、大人たちは――教師たちも含めて――彼らを「UFOの子供たち」と呼ぶ。そこには侮蔑がにじんでいる。杉森真秀も教師からひどくいじめられる。
8年後、高校卒業式後の3月、再び男子3人は新聞記者とともに天神山に向かう。ところが事故が起きる。先導するバイクに乗っていた教師と車を運転していた新聞記者が死に、3人はけがをする。このエピソードに限らず、自動車が効果的に使われている。宇沢弘文の『自動車の社会的費用』も出てくる。
事故はマルユウとマルセイの人生を変えてしまう。マルユウは野球をやめ、マルセイは音楽をやめる。つかめたかもしれない成功は、彼らの手からするりと逃げる。それだけではない。マルユウとマルセイは互いの記憶も人格も入れ替わってしまったよう。マルユウととくに親しかった杉森真秀は、そのことに深く傷つく。そして20年がすぎ、マルセイはマルユウに奇妙なメッセージを残して死んでしまう。マルセイがなぜ死んだのかも、この小説を貫く大きな謎だ。
常識では説明のつかない出来事がいろいろと描かれるから、分類するとファンタジーということになるのかもしれない。でも世界には説明できることよりも、不思議なことのほうが多いのではないだろうか。読んでいるぼくの経験や記憶が確かなものだなんて、けっして言えないだろう。