書評
『ことばたち』(ぴあ)
まさに事件! 仏の代表的詩集を完訳
これはまさに<事件>だ。ジャック・プレヴェールは、マルセル・カルネ監督と組んで、名画『天井桟敷の人々』や『霧の波止場』を生んだ、戦前のフランス映画最高のシナリオライターである。
戦後、本書『ことばたち(パロール)』を発表し、この詩集は現在まで軽く三百万部をこえるロングセラーになっている。一九九二年に『ことばたち』が、ガリマール社の有名なプレイヤッド叢書に『プレヴェール全集』第一巻として収録されたときにも、一万円近い値段にもかかわらず、たちまち十万部のベストセラーになった。フランスの真の国民的詩人なのだ。
その『ことばたち』の、日本初の完訳版がついに出た。これが<事件>その一である。
もちろんプレヴェールの詩を訳したのは、この本が初めてではない。なにより小笠原豊樹(=詩人・岩田宏)という偉大な紹介・翻訳者がいる。小笠原訳によるプレヴェールの詩は、それ自体日本語として楽しめる完結した名訳である。だが、プレヴェールのことばは、均一でなめらかな日本語の流れにすんなりと収めるには、あまりにも複雑な、プリズムのように変化する、過剰な意味に富んでいる。したがって、本書は別冊として(!)注解をつけ、様々なことば遊びや、幾重にも絡みあった意味や、謎めいた語句を徹底的に解明した。
これほど詳しい注解は世界にも例がない。本書が参照したプレイヤッド版全集をも超えている。これが<事件>その二である。
<事件>その三は、この訳と注解をおこなった人物が、今年六十九歳になるほとんど新人といってよい翻訳者であることだ。『ホーホケキョ となりの山田くん』という大傑作アニメを監督したあの高畑勲なのである。
高畑勲の訳と注解によって、詩人ジャック・プレヴェールは、日本人の前に初めてその巨大な全貌をあらわした。
これまで漠然と愛と反戦とペーソスの詩人のように思われてきたプレヴェールが、どれほど複雑なことばのテクニックを駆使し、超現実的な美しいイメージをつむぎだし、愚かな世界に絶望と孤独をたたきつけ、同時に、人間を悲劇に追いやる空虚な理想と戦いぬいた人物であるか、本書は、この上なく繊細なことばの解剖をつうじて明らかにしている。
詩のことばは優雅になめらかに流れるべきだと考える人は、本書の訳がぎくしゃくしているというかもしれない。また、詩に注解なんて無粋だと考える人もいるだろう。だが、ひるがえって、たとえば私たちは『新古今和歌集』を、なめらかな現代語訳だけで、注解ぬきに読めるだろうか? その意味で本書は、詩の翻訳ははたして可能か、という古くて新しい問題にも果敢に挑んでいるのである。
朝日新聞 2004年11月21日
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