書評
『「挫折」の昭和史』(岩波書店)
異能の軍人が紡ぎ出すネットワーク
題して「『挫折』の昭和史」と言う。いったい何が「挫折」なのか。昭和初期の日本と満州とに焦点をあて、人と人との出会いに始まるさまざまな人間関係を次から次へと紡ぎ出し、知の万華鏡とでも呼ぶべき世界をくり広げて見せる著者のキーワード「挫折」。どうやら著者は、異能の軍人だった甘粕正彦と石原莞爾という二つの糸車から紡ぎ出されたさまざまな陰影を見せる知的文化的人脈のネットワークの中に、「挫折」を見出すしかけを作ったようだ。したがって昭和戦前期の戦争という祝祭状況の中でこそ開花した知的営みが、まさに戦争の遂行と敗北への道程の中で「挫折」していく姿を、ありのままみつめる態度を貫くことになる。ありていに言って、すぐに白か黒かを決めたがる政治論やイデオロギー論からのアプローチをとらない。断罪したとたんに見えなくなってしまうニュアンスをつかみとることが、他ならぬ著者のめざす「近代日本の歴史人類学」になるのであろう。
正直のところ本書が展開する目くるめく博覧強記の世界に立ちむかうには、読み手の側にも相応の覚悟がなければならない。もっとも著者は、知の八艘飛(はっそうと)びを行うにあたって著者と同じ目線の高さを共有できるよう、自分自身の人的ネットワークの話に読み手をいざなう。この出だしは見事である。岡正雄、林達夫、岡田桑三、名取洋之助、富塚清、小泉信三、岡部平太、小山勝清、そして竹中英太郎と続く前半五章は、意外な出会いの連続で息もつかせぬほどの面白さだ。
それに比べて石原莞爾がクローズアップされる後半四章は、どうしても政治や軍事の文脈にからめとられてしまうせいか、やや生硬さが残る。一つには東条英機をカタキ役にしすぎたせいかもしれない。
とまれ人と人とのつながりの中に精神史を構築していく著者の試みは、なかなかに刺激的だ。そして同じくこの時期の人脈のネットワークを政治史の側から追究している伊藤隆の業績と重ね合わせた時、思わぬ展開を見せることになるかもしれない。
【新版】
ALL REVIEWSをフォローする