書評
『わたしを離さないで』(早川書房)
トヨザキ的評価軸:
◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
へールシャムはどんな目的で運営されているのか? 提供者と介護人の関係は? そうした、早々に読者に明かされてしまう幾つかの謎なんかどーでもいい。大切なのは、たとえばこんなエピソードなんです。子供時代、一本のカセットテープに収録された「わたしを離さないで」という曲が気に入って繰り返し聴いていたキャシー。ある日何者かによって盗まれてしまったそのカセットテープと、キャシーは後年、トミーと共に再会することになるのです。この物語の感情的なキーポイントとなる、特別な場所で。この曲の歌詞は、物語終盤でトミーのこんな言葉と呼応しあいます。
これは為す術もなく人生を奪われる人間のレーゾン・デートル(存在理由)を描いて厳しい物語です。流れの速い川の中で互いに「わたしを離さないで」としがみつくような愛を育んでも、否応なく引き裂かれるしかない運命を描いて切ない恋愛小説です。そして、子供時代をノスタルジックに描いて、その夢心地の筆致ゆえに残酷なビルドゥングスロマンになっているんです。
「なぜ、彼らは理不尽な運命に逆らわないのか」という疑問を抱く人もいるかもしれません。けれど、この小説の舞台は現実とは異なる歴史を持つ、もうひとつのあり得たかもしれない世界なのです。今此処にある当たり前が当たり前として通用しない世界に、今此処の常識をあてはめるのはフェアな態度ではない、わたしはそう思います。とにかく読んでみて下さい。ラストシーンがもたらす深い悲しみと苦い読後感といったら……。これが、わたしの上半期ベストワン小説です(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2006年6月)。
【関連書評】豊崎由美によるカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』評
【この書評が収録されている書籍】
◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
しがみつくような愛を育んでも引き裂かれていく運命
語り手は優秀な介護人キャシー・H。彼女は提供者と呼ばれる人々の世話をしています。キャシーが育ったのはヘールシャムという全寮制の施設。介護人として働きながら、キャシーはヘールシャムのことを思い出します。図画工作といった創造性の高い授業に力を入れたカリキュラム。毎週の健康診断。保護官と呼ばれる教師たちが時に見せる奇妙な言動。生徒たちの優秀な作品を展示館に集めている、マダムと呼ばれる女性。恩田陸の学園ものの雰囲気に似たミステリアスな寄宿生活を送る中、キャシーは知ったかぶりのルースや、癇癪持ちのトミーと友情を深めていくのですが――。へールシャムはどんな目的で運営されているのか? 提供者と介護人の関係は? そうした、早々に読者に明かされてしまう幾つかの謎なんかどーでもいい。大切なのは、たとえばこんなエピソードなんです。子供時代、一本のカセットテープに収録された「わたしを離さないで」という曲が気に入って繰り返し聴いていたキャシー。ある日何者かによって盗まれてしまったそのカセットテープと、キャシーは後年、トミーと共に再会することになるのです。この物語の感情的なキーポイントとなる、特別な場所で。この曲の歌詞は、物語終盤でトミーのこんな言葉と呼応しあいます。
おれはな、よく川の中の二人を考える。どこかにある川で、すごく流れが速いんだ。で、その水の中に二人がいる。互いに相手にしがみついてる。必死でしがみついてるんだけど、結局、流れが強すぎて、かなわん。最後は手を離して、別々に流される。おれたちって、それと同じだろ?
これは為す術もなく人生を奪われる人間のレーゾン・デートル(存在理由)を描いて厳しい物語です。流れの速い川の中で互いに「わたしを離さないで」としがみつくような愛を育んでも、否応なく引き裂かれるしかない運命を描いて切ない恋愛小説です。そして、子供時代をノスタルジックに描いて、その夢心地の筆致ゆえに残酷なビルドゥングスロマンになっているんです。
「なぜ、彼らは理不尽な運命に逆らわないのか」という疑問を抱く人もいるかもしれません。けれど、この小説の舞台は現実とは異なる歴史を持つ、もうひとつのあり得たかもしれない世界なのです。今此処にある当たり前が当たり前として通用しない世界に、今此処の常識をあてはめるのはフェアな態度ではない、わたしはそう思います。とにかく読んでみて下さい。ラストシーンがもたらす深い悲しみと苦い読後感といったら……。これが、わたしの上半期ベストワン小説です(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2006年6月)。
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