書評
『神秘』(毎日新聞社)
生と死分かつ谷覆い隠す「諦念」という霧
いま日本人の三分の一は癌(がん)で死ぬ。癌はごくありふれた病だが告知されたときのショックは大きい。この小説の主人公菊池は五十三歳で膵臓(すいぞう)癌、余命一年と医者に言われる。そこから彼の不思議な心の旅が始まる。この年齢の多くの癌患者は仕事と家族を抱えていて、治療だけでなくそちらの手当にも心を砕かねばならない。けれど菊池は離婚していて仕事も現役から離れている。あえて言えば恵まれた癌患者か。
彼はずっと昔、電話一本で奇跡を起こしてみせた女を思い出し、彼女を探すために神戸へと移り住む。
この過程で、癌患者の多くが体験する心の葛藤が描かれ、医学情報も提示される。アップル社のCEOであったスティーブ・ジョブズ氏の伝記を引きながら、ジョブズ氏が自分の癌や死にどう向き合ったかにも言及される。
自分は何者で何のために生きてきたのかを問う深まり。そしてその追求が、この世界の成り立ちを明かす方向へと向かう。人と人をつないでいる見えざる神の手の大きさと優しさの顕在化と実証へ、哲学的に舵(かじ)を切るのだ。
とこう書くと暗くて小難しい作品に見えるが、菊池の認識は常に現実を踏まえていて妙に明るい。たとえば彼は自分の癌が、妻の裏切りと離婚によるストレスから来ていると考えるが、それもやむを得ない出来事だったと、どこかで諦めている。自分を導く神の手にあらがい噛(か)みつくことはせず、生存への願望にもうっすらとした諦念が漂っている。
この静けさは、長く死について考えてきた人からのみ漂ってくるものだ。生と死を分かつ深い谷間を覆い隠す霧のように、諦念が小説全体を包み込んでいる。この霧に包まれているかぎり人は死なない。希望という熱いものでも嫌悪や後悔という痛みに満ちたものでもなく、在るがままにしか在り得ないという謙虚さ、つまり神に寄り添っているのだ。
かつて過呼吸発作をおこしたとき、タクシーの運転手が機転をきかせてある病院に連れて行ってくれたが、その縁で菊池は妻と出会った。その運転手は実は双子で、もう一人の兄弟と菊池はやがてつながることになる。縁は時間と空間を大きくめぐって元へと戻ってくるのである。その一巡に様々な生死が介在し、それら生死も偶然のように見えて必然であることが描かれていく。
不思議な糸に操られている、と言ってしまえば簡単だが、それを小説で実証するのは容易ではない。ご都合主義という作者自身の認識と闘わねばならないからだが、その闘いを支えてくれるのは、確信と使命感だろう。その糸を作者自身がどれだけ強く信じられるかだ。作者自身も双子の一人だから、運命の糸が毛細血管のように人生の血肉の間を伸びていくのを実感してきたはずで、兄弟を支配する糸に敏感にならざるを得ないのが双子の感性かもしれない。
この旅には恩寵(おんちょう)も用意されている。菊池は旅の目的だった奇跡を起こす女を探し当て、結ばれる。そして告げられた一年の余命を超えて、その後も生きている。この奇跡は、癌を生きるすべての患者にとっても恩寵だ。
癌との向き合い方に作者はこんな答えを用意している。癌と宣告された瞬間から癌になるのだから、癌を見つけないというのは有効な癌克服法なのだと。
現代医学に背いているかに見えるが、確かにそうやって人間は癌を越え得るのだと納得できた。
【文庫版】
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