書評
『字幕の名工 ─ 秘田余四郎とフランス映画』(白水社)
銀幕に名訳を刻んだ異才、知られざる素顔
一つの世代にとっては絶対に忘れられない名前というものがある。現代ならアニメの声優(『ドラえもん』の野比のび太の声の小原乃梨子)、過去においては徳川夢声などの活動弁士。では、トーキーからテレビ出現までの過渡期に生きた現在六十歳以上の、とくにフランス映画ファンにとっての忘れられない名前はと問われたら、多くの人が「秘田余四郎」と答えるだろう。「字幕翻訳・秘田余四郎」の名人芸を介して『望郷』のジャン・ギャバンや『天井桟敷の人々』のアルレッティ&ジャン=ルイ・バローのセリフに痺(しび)れ、一気にフランス好き、映画好きになったからである。それほどに「秘田余四郎」の功績は大きかったのだが、しかし、この字幕の名手がどんな人物であったかというと、答えられる人はほとんどいない。本書は往年のフランス映画ファンならだれもが感じていたこの疑問に答えを出した待望の一冊である。秘田余四郎は本名・姫田嘉男(ひめだよしお)。ペンネームは本名に別の漢字をあてて一ひねりしたもののようだ。明治四十一(一九〇八)年徳島に生まれ、東京は牛込に育った。府立四中に入学するも素行不良(?)で退学になり成城中学から東京外国語学校フランス語科に進んで昭和六年に卒業。しばらく神楽坂の下宿で放蕩(ほうとう)無頼の生活を送り、牛込の香具師( やし )集団・会津家一家と付き合いながら麻雀で食いつないだ後、昭和十一年に「招聘(しょうへい)フランス語出来る廿七歳以下の男」の新聞広告を見て川喜多長政・かしこ夫妻の東和商事映画部に入社する。熱狂的な映画ファンというわけではなかったが、『罪と罰』の字幕を任されて成功したことから字幕翻訳の道に。以後、『女だけの都』『我等の仲間』『どん底』『ジェニイの家』などで名訳者ぶりを披露するが、「飲む打つ買う」の乱行がたたって東和商事をクビになる。しかし、秘田の才能を惜しんだ川喜多社長が嘱託として残したことから、東和の輸入映画と秘田余四郎の名前は切っても切れない関係に。昭和十五年には陸軍通訳として仏印に渡り、次いで川喜多長政が上海につくった中華電影に協力。上海に来た高見順と知り合い、生涯の友となる。敗戦直後には中国人相手に麻雀をして糊口(ここう)の資(もと)を稼ぎ、戦後は鎌倉にある渋沢一族の屋敷の一隅を借りたことから、後に澁澤龍彦となる澁澤龍雄にフランス文学の手ほどきをする。戦後の混乱期を経て、ヨーロッパ映画の輸入が再開されると「字幕翻訳・秘田余四郎」はビッグ・ネームになってゆく。その名声を決定づけたのがジャック・プレベールが脚本を書いた『天井桟敷の人々』の字幕。本書には原文と直訳と秘田訳を併記した部分がある。
直訳「ガランス あたし行かなきゃならないのよ。ナタリー またそんな! そんなことずいぶんやさしい事よ」。
秘田訳「ギャランス 私、行かなくちゃ。ナタリー また行くの! 気楽でしょうね、去って行く人は」。
舌を巻くうまさとはこうした字幕のことをいうのだろう。
テレビ時代を迎えると吹替会社をつくって大儲(おおもう)けし、火宅の人となったこともあるが、資産を築くだけの才はなく、盟友の高見の後を追うように昭和四十二年に世を去った。
不幸にも、その名字幕の数々は今日、記録としてほとんど残っていない。だが、人々の記憶の中でいまもなお「字幕翻訳・秘田余四郎」の名はあの独特の字体とともに燦然(さんぜん)と輝いているのである。
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