書評

『引き裂かれた声―もうひとつの20世紀音楽史』(毎日新聞社)

  • 2017/09/03
引き裂かれた声―もうひとつの20世紀音楽史 / 平井 玄
引き裂かれた声―もうひとつの20世紀音楽史
  • 著者:平井 玄
  • 出版社:毎日新聞社
  • 装丁:単行本(245ページ)
  • 発売日:2001-06-01
  • ISBN-10:4620315257
  • ISBN-13:978-4620315256
内容紹介:
黒人音楽、ユダヤ人音楽、沖縄にたくわえられた豊かな歌…。アイデンティティを引き裂かれた者たちが、その只中で震える声を上げる。国家に抗し、民族にも収まらぬ分裂した音が、未来の自由を夢見る。
世代というものは、単に年齢が近いというだけで形成されるものではない。ある年代が世代として凝固するか・しないかは、もっとも感受性が敏感な時期にいかなる社会的事件を体験したかに、大きく左右されている。その際に受け取った印象が、後になって本人の行動に大きな意味で影を落とし、ある時代的広がりをもつに至ったとき、そこで初めて世代が問われることになる。

1970年11月25日という日付を聞いて、ただちにノーベル賞候補になったある日本人作家の死を想起するだけでは、世代は形成されない。だが同じ日にニューヨークのイースト・リバーで死体として発見された天才サックス奏者、アルバート・アイラーのことにただちに言及する者がいたとしたら、その者の周辺には世代がみごとに築き上げられているとわたしは思う。『破壊せよ、とアイラーは言った』を書いた中上健次がそうであったし、坂本龍一やわたしがそうであった、本書の著者である平井玄はまさにこの世代を代表する音楽研究家であり、1968年の新宿に大気のように漂っていた文化的高揚をいまだに喪わずにいる、数少ない批評家である。

1968年をめぐっては、最近になってノスタルジックな回想から思想史的研究まで、少なからぬ書物が刊行されている。批評家としての平井が興味深いとすれば、それは彼が二つの点において諸々の論者とは違った教訓をこの時期から抜き出していることにあるように、わたしには思われる。ひとつは、当時のジャズ界で最前衛の位置にあったフリージャズを聴くことは、単に嗜好や関心の問題ではなく、イデオロギーと階級の認識の問題であり、実存的な世界観の選択を要求されることであったという自覚である。もうひとつは、現下に生じている混沌は偶発的なものではなく、さまざまな形のもとに世界で同時に発生していることの一部であるという認識である。この立場に立つならば、個々の現象の当否を問うよりも、それらが知らず知らずのうちに、同じ時代を並行して生きているという事実にこそ、重大な秘密が隠されているということがわかってくる。本書を読むと、この二つが前提となって平井の30年余にわたる音楽的探求が開始されたことが、よく理解できる。

亡命の作曲家シェーンベルクにレスター・ケーニッグという友人がいて、「赤狩り」のさいに映画人として追放処分を受けたが、別年代に音楽レーベル畑で活躍し、オーネット・コールマンの最初のLPを出すことになったこと。1939年におけるブギウギの誕生が、ジョン・ケージらによるプリペアド・ピアノの考案と同時期であること。デビュー当時のボブ・ディランが、両大戦間のドイツ音楽の一翼を支えたクルト・ヴァイル夫人である歌手ロッテ・レーニャの吹き込みを通して、ヴァイルとブレヒトの共作曲にいかに私淑していたかということ。おそらく日本のクラシック音楽(ならびにそのサブジャンルとしての現代音楽)の時評家の口からはけっして出てこない、20世紀の音楽史をめぐるさまざまな挿話が紹介されている。だが平井は無邪気に博学を誇るわけではなく、こうした音楽ジャンルの越境と横断を次々と指摘し、いくつもの現象が時間と時代をともにしているという事実を強調する。批評の場で思いがけず衝突の火花が散る機会があるとすれぽ、それはこうした同時性においてであろう。『映画史』のゴダールがいうように、歴史意識は事物の素朴な列挙からではなく、衝突のモンタージュからのみ生まれるものなのだ。

音楽を通して階級と交通を論じる者としては、平岡正明が先行者として存在していた。平岡と平井の違いとは、その間に日本において美学者ベンヤミンの研究が進展をとげたということである。本書には、日本中のあらゆる大学で暴力が露出していた1969年に、ひっそりとベンヤミン著作集の第1回配本『暴力批判論』が刊行されたという記述があるが、平井の筆はさらに進んで、このベンヤミンがディズニーのアニメにいかに着目していたかが論じられる。音楽の本で久しぶりに刺激的な書物を読んだ、という感想をもった。映画史研究家としてのわたしがこの書物に対して嫉妬めいた気持ちを抱かなかったといえば、嘘になるだろう。

【この書評が収録されている書籍】
人間を守る読書  / 四方田 犬彦
人間を守る読書
  • 著者:四方田 犬彦
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:新書(321ページ)
  • 発売日:2007-09-00
  • ISBN-10:4166605925
  • ISBN-13:978-4166605927
内容紹介:
古典からサブカルチャーまで、今日の日本人にとってヴィヴィッドであるべき書物約155冊を紹介。「決して情報に還元されることのない思考」のすばらしさを読者に提案する。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

引き裂かれた声―もうひとつの20世紀音楽史 / 平井 玄
引き裂かれた声―もうひとつの20世紀音楽史
  • 著者:平井 玄
  • 出版社:毎日新聞社
  • 装丁:単行本(245ページ)
  • 発売日:2001-06-01
  • ISBN-10:4620315257
  • ISBN-13:978-4620315256
内容紹介:
黒人音楽、ユダヤ人音楽、沖縄にたくわえられた豊かな歌…。アイデンティティを引き裂かれた者たちが、その只中で震える声を上げる。国家に抗し、民族にも収まらぬ分裂した音が、未来の自由を夢見る。

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初出メディア

中央公論

中央公論 2001年10月

雑誌『中央公論』は、日本で最も歴史のある雑誌です。創刊は1887年(明治20年)。『中央公論』の前身『反省会雑誌』を京都西本願寺普通教校で創刊したのが始まりです。以来、総合誌としてあらゆる分野にわたり優れた記事を提供し、その時代におけるオピニオン・ジャーナリズムを形成する主導的役割を果たしてきました。

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