書評
『昭和十年代の陸軍と政治―軍部大臣現役武官制の虚像と実像』(岩波書店)
歴史を単純化する「定説」を解体
歴史の「定説」では、陸軍は二・二六事件直後に誕生した広田弘毅内閣が復活させた軍部大臣現役武官制(陸海軍大臣は現役の大将・中将に限る)を盾に、日本の政治を翻弄(ほんろう)したことになっている。この「定説」に異議を唱え、軍部大臣現役武官制は「陸軍の政治的反対意志表明のバロメーターとはなるが、決定的政治的要因となるものではない」としたのが本書である。真の決定要因は時々の陸軍と首相(または天皇・宮中勢力)の力関係にあり、たとえ軍部大臣現役武官制がなくとも、陸軍は自らの力を信じたときには横車を押したはずなのだ。
そのまぎれもない証拠が、広田内閣組閣時の陸軍の介入である。陸軍は内閣の陣容を知るや、吉田茂を始めとする六人の入閣に反対し、要求が容(い)れられなければ寺内新陸相が入閣を拒絶すると脅したが、このときには例の制度はまだ出来ていなかった。「すなわち、軍部大臣現役武官制でなくても陸軍は内閣の死命を制することができたのである」
しかし、こうした主張には、この制度が足かせとなって流産した宇垣内閣をどう説明するのかと疑問が呈されるだろう。著者によれば、陸軍三長官会議の否定的結果を受け取った宇垣は、小磯大将に直接電話をかけ陸相の牛蒡(ごぼう)抜きを図ったが、これも果たせぬと見るや、自らが予備役から現役に復帰して陸相を兼任するため、天皇に「大権発動」を奏請するという奥の手を繰り出そうとしたという。だが、その裏技は、陸軍のクーデターを恐れた湯浅内大臣によって拒否され、宇垣は組閣を断念せざるをえなくなる。
以上の点を踏まえて、著者はこの宇垣内閣流産の件についてこう言う。「この決定的瞬間において湯浅が宇垣の指名制方式を拒絶した要因は、軍部大臣現役武官制にあったといえるだろうか。(中略)現役武官制のゆえに陸相が得られないのではない。現役武官の候補者がいるのに陸軍が反対するのでこれらの人を陸相に任命できないのである」
しからば、畑陸相の辞任で瓦解した米内内閣のケースはどうか? 背景にはドイツ快進撃に熱狂したマスコミの醸成した近衛新体制願望があった。陸軍はこれに乗じて米内内閣の総辞職を求めるが、米内は逆襲に出て、畑に辞表の提出を要求し、「“陸相後任難=陸軍のために米内内閣は総辞職する”という『政治的自殺』」を演出した。米内内閣は軍部大臣現役武官制がなくとも倒れたはずなのである。
ことほどさように、軍の力が強いときにはこの制度がなくとも内閣は崩壊せざるをえなかったが、反対に派閥抗争や中堅幕僚と上層部との対立などで陸軍の力が相対的に弱まっていたときには、首相が陸相を更迭したり(近衛内閣の杉山元から板垣征四郎への陸相の交替)、天皇が陸相を指名したり(阿部内閣組閣時の畑陸相の起用)することも可能だった。
著者の最終的結論はこうである。「以上の考察からあらためて浮かび上がってくるのは、この時期の政治過程における宮中関係者(特に近衛)やマスコミの役割の重要性であるが、軍部大臣現役武官制原因説はこれらの責任を相対化する役割を強く果たしてきた可能性が高い」
「定説」が、歴史を咀嚼(そしゃく)しやすい単純な因果関係に落としこんだものだとするなら、歴史家の責務はその単純な図式を複雑な現実へと還元させることにある。この意味で、本書は歴史家の見事な「仕事」であるといえるだろう。
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