解説
『カワハギの肝』(光文社)
もしあなたが子供のころ、児童文学が好きで、河出版『クオレ』や岩波版『ピノッキオの冒険』や『今昔ものがたり』を愛読していたとしたら、その訳者は杉浦明平だったはずである。
もしあなたが歴史書や評伝が好きで、なかんずく、洋学者にして画人だった渡辺崋山や、狂歌師大田蜀山人に関心がおありなら、きっと『小説 渡辺崋山』(毎日出版文化賞)や『大田蜀山人 狂歌師の行方』はお読みになっただろう。その著者が杉浦明平であった。
もしあなたが立原道造が好きで、まずは岩波文庫の『立原道造詩集』から読み始めたとしたら、編著者杉浦明平の名前を忘れることはないと思う。立原道造と杉浦明平は学生時代からの親しい友人で、今では百五通にのぼるふたりの往復書簡集も公刊されている。
もしあなたがイタリア・ルネッサンスにことのほか興味をお持ちなら、岩波文庫『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』、『ミケランジェロの手紙』、『ルネッサンス巷談集』、さらには『ルネッサンス文学の研究』があなたの書棚に並んでいないはずはない。その著訳者が杉浦明平である。
杉浦明平。一九一三年、愛知県渥美郡生まれ。二〇〇一年歿。享年八十七歳。
豊橋中学から一高を経て、東京帝国大学国文科卒業。大学院にすすみ、国文学を修めるかたわら、東京外国語学校夜間部でイタリア語を習得した。本書にも書かれているように、一高在学中から、アララギ派の土屋文明に師事して作歌にはげむ。『戦後短歌論』『現代アララギ歌人論』『石川啄木』などは若いころに実作をした経験があればこその著作といえよう。小説を書きはじめたのは大学生のときであった。戦中はもっぱらイタリア・ルネッサンス研究に没頭。レオナルド・ダ・ヴィンチ『科学について』などを刊行した。
敗戦後は郷里に住み、日本共産党に入党。町会議員として活躍。その後、共産党からは離れたが、社会問題に対する意識はするどく、ルポルタージュの傑作を多くのこした。部落解放文学賞の選考委員をつとめたこともある。その方面の代表作に、のちに『杉浦明平記録文学選集』全四巻に収められた『ノリソダ騒動記』『基地六〇五号』『台風十三号始末記』『地方議員の涙と笑い』など。
その他、批評家としても活躍した杉浦明平の仕事として忘れてはならないものを列挙すれば、『維新前夜の文学』『哄笑の思想』『戦国乱世の文学』『闇と笑いの中』『化政・天保の文人』『当てはずれの面々』『新・古典文学論』『暗い夜の記念に』『歎異抄』『本、そして本』となるだろうか。
小説家としては、前述した代表作『小説 渡辺崋山』以外にも、土俗的ともいえるユーモアを駆使した『田園組曲』、歴史小説の範疇にはいる『椿園記・妖怪譚』や『秘事法門』などが好評を博した。
まさにルネッサンスの巨人を範にとったように幅ひろい活躍を続けた杉浦だが、もうひとつ、読者に愛されたのが、生活感覚あふれる、親しみやすい軽妙なエッセイだった。『養蜂記』『私の家庭菜園歳時記』『渥美だより』『海の見える村の一年』『偽「最後の晩餐」』『老いの一徹、草むしり』などがそれにあたるが、なかでも『養蜂記』と本書『カワハギの肝』は、随筆家としての杉浦明平の魅力を江湖に知らしめた作品である。
本書は、一九七六年、六興出版から出版され、一九八六年、光文社文庫にはいった。今回の文庫版はその復刻版にあたる。
(次ページに続く)
もしあなたが歴史書や評伝が好きで、なかんずく、洋学者にして画人だった渡辺崋山や、狂歌師大田蜀山人に関心がおありなら、きっと『小説 渡辺崋山』(毎日出版文化賞)や『大田蜀山人 狂歌師の行方』はお読みになっただろう。その著者が杉浦明平であった。
もしあなたが立原道造が好きで、まずは岩波文庫の『立原道造詩集』から読み始めたとしたら、編著者杉浦明平の名前を忘れることはないと思う。立原道造と杉浦明平は学生時代からの親しい友人で、今では百五通にのぼるふたりの往復書簡集も公刊されている。
もしあなたがイタリア・ルネッサンスにことのほか興味をお持ちなら、岩波文庫『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』、『ミケランジェロの手紙』、『ルネッサンス巷談集』、さらには『ルネッサンス文学の研究』があなたの書棚に並んでいないはずはない。その著訳者が杉浦明平である。
杉浦明平。一九一三年、愛知県渥美郡生まれ。二〇〇一年歿。享年八十七歳。
豊橋中学から一高を経て、東京帝国大学国文科卒業。大学院にすすみ、国文学を修めるかたわら、東京外国語学校夜間部でイタリア語を習得した。本書にも書かれているように、一高在学中から、アララギ派の土屋文明に師事して作歌にはげむ。『戦後短歌論』『現代アララギ歌人論』『石川啄木』などは若いころに実作をした経験があればこその著作といえよう。小説を書きはじめたのは大学生のときであった。戦中はもっぱらイタリア・ルネッサンス研究に没頭。レオナルド・ダ・ヴィンチ『科学について』などを刊行した。
敗戦後は郷里に住み、日本共産党に入党。町会議員として活躍。その後、共産党からは離れたが、社会問題に対する意識はするどく、ルポルタージュの傑作を多くのこした。部落解放文学賞の選考委員をつとめたこともある。その方面の代表作に、のちに『杉浦明平記録文学選集』全四巻に収められた『ノリソダ騒動記』『基地六〇五号』『台風十三号始末記』『地方議員の涙と笑い』など。
その他、批評家としても活躍した杉浦明平の仕事として忘れてはならないものを列挙すれば、『維新前夜の文学』『哄笑の思想』『戦国乱世の文学』『闇と笑いの中』『化政・天保の文人』『当てはずれの面々』『新・古典文学論』『暗い夜の記念に』『歎異抄』『本、そして本』となるだろうか。
小説家としては、前述した代表作『小説 渡辺崋山』以外にも、土俗的ともいえるユーモアを駆使した『田園組曲』、歴史小説の範疇にはいる『椿園記・妖怪譚』や『秘事法門』などが好評を博した。
まさにルネッサンスの巨人を範にとったように幅ひろい活躍を続けた杉浦だが、もうひとつ、読者に愛されたのが、生活感覚あふれる、親しみやすい軽妙なエッセイだった。『養蜂記』『私の家庭菜園歳時記』『渥美だより』『海の見える村の一年』『偽「最後の晩餐」』『老いの一徹、草むしり』などがそれにあたるが、なかでも『養蜂記』と本書『カワハギの肝』は、随筆家としての杉浦明平の魅力を江湖に知らしめた作品である。
本書は、一九七六年、六興出版から出版され、一九八六年、光文社文庫にはいった。今回の文庫版はその復刻版にあたる。
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