解説

『野坂昭如コレクション』(国書刊行会)

  • 2017/10/03
野坂昭如コレクション〈1〉ベトナム姐ちゃん / 野坂 昭如
野坂昭如コレクション〈1〉ベトナム姐ちゃん
  • 著者:野坂 昭如
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(628ページ)
  • 発売日:2000-09-01
  • ISBN-10:4336042616
  • ISBN-13:978-4336042613
内容紹介:
1963年に発表され、三島由紀夫、吉行淳之介らの賞讃を浴びたデビュー作「初稿エロ事師たち」のほか、万博に向け急ピッチで造成が進む大阪で、人間の"死に方"におのれを賭けた男たちの生き様を描く中篇「とむらい師たち」、死地ベトナムとの往還を続けるアーミーたちにロハで体を与えるベトナム姐ちゃんが横須賀の町を闊歩する表題作など、軽快な語りが充溢する十六篇。

野坂昭如の構成力(レトリック)

野坂昭如のコレクションをゲラの段階で読んだが、驚いたことに一つも駄作がない。商業誌にいわば書き飛ばしのようなかたちで書いてきたことを考えれば、これはほとんど奇跡のようなものである。しかも、たんに駄作がないというだけではなく、四作に一つは、いや最近の小説のレベルを考えれば三作に一つは傑作といっていい。これも同じように驚異的な打率だ。

これだけの打率の高さの意味するところは、一つしかない。プロ野球の場合と同じく、野坂昭如の打撃フォーム(つまり文体と構成力)が古典的に完成されたものであるということだ。文体については語りつくされているから、ここでは触れずに、構成力の凄さについて見てみよう。

例を『至福三秒』という短編にとってみる(第三巻所収)。

性知識のなさゆえ、性交の持続時間には前戯の時間も含まれると思い込んでいた妻が、あるとき、それが誤りだったと気づいたところから、物語は始まる。夫は早漏で、挿入後たったの三秒で放出してしまうのである(タイトルは石川淳の『至福千年』のもじり)。妻は、この夫の早漏のせいで、本来なら味わっていていいはずの快楽を、結婚十二年も感じないできたことを深く恨み、夫の早漏をふせぐべく、さまざまに努力を重ね、最後は、意外なかたちで目的を達する。

これは物語構造的にいえば、試練と、それを受けての挑戦、挫折、再挑戦、最挫折……という最も単純な民話的構造の短編である。しかし、その単純さゆえに、これを現代小説に仕立てるのは、しかも「おかしうて、やがて悲しき」というコミックの最も望ましい大団円にもっていくのは至難の業である。だが、野坂昭如はいとも簡単に、この障害をクリアーしてみせる。

それは、野坂昭如が、「挑戦、挫折、再挑戦、再挫折」という反復の過程で、コミカルな要素を漸次パワー・アップさせておいてから、激発的な結末をもってくるという独特の手法を自家薬籠中のものにしているからである。

とくに、深刻な問題を扱うに卑近な事物を配するという小道具の使い方は絶妙としかいいようがない。

まず、妻が正確な性交時間を計ろうとして、台所用の三分間砂時計をベッドサイドにもってくるのがおかしい。「茄で卵でもあるまいし」という夫の興ざめも笑いを誘う。これが第一回目の挑戦。しかし、当然のようにこれは挫折する。

そこで今度は、性交中に難しいことを考えれば、射精がふせげるというので、妻が読んでいる週刊誌の教示にしたがって、いろいろと複雑なことを考えてみる。「たとえばユーウツの鬱の字をなぞってみるとか、恐れ多くも勅語を暗誦する」

ところがこの試みは、夫が暗記物がやけに得意で、歴代天皇の名前も軍人勅諭もすらすらと口をついて出るのでうまくいかない。早漏防止に勅諭を持ち出すということのおかしさに加えて、その挫折の仕方のユニークさ。いかにも記憶魔野坂昭如の主人公らしい。

そこで、今度は頭脳ではなく、局部の肉体的な鍛練がいいということで、オナニーを復活せよと妻が命じる。柔らかいヴァギナでなく、固くてゴツイ男の手でしごけば鍛力が出ると踏んだのである。だが、こんなことをやっているうちに、興奮が蓄積してきて、いざというときに、いまだ交合せぬうちにほとばしり出てしまう、「零秒やないの、これやったら」

ならばと、コンドームの重ね着を試みるが、「マニキュアした妻の指先が、こころくばりしつつ、先端から根元へゆっくりと何度も往復するうち」、夫はたえきれなくなってまたもや発射する。「あほらしもない」

しかし、このエピソードの滑稽さは、次の挑戦と挫折に比べればなにものでもない、なんと、妻は、より厚いコンドームという発想から、水仕事用のゴム手袋の指を切り落とし、抜けないように根元を絹糸で縛ったのである。セックスに水仕事用ゴム手袋という、ほとんどミシンとコウモリ傘にも似た出会いのシュールな組み合わせ、それに根元の絹糸という仕上げの完壁さ。笑いのクレッシェンド(漸強)、ここに極まれりである。

このゴム手袋の試みは大成功で、妻は初めて喜びを味わったが、夫は根元に絹糸が食い込んで取れなくなり、ペニスが壊死する寸前にようやく医者のメスで救われる。これまたセックスと死、悲劇と喜劇の見事な結合と呼んでいい。

夫は、これでさすがに妻も無理難題をふっかけないだろうと思うが、妻は二百倍持続した喜びを忘れかね、もう一度、こんどはガーゼで縛って行おうと誘う。さすがの夫もここで切れる。

「あいつは、自分の楽しみのためやったら、俺が死んだってかまわんねんな」。かくして、夫は妻をぐいと組み敷き、「この色気違いめ、今に殺したる」と妻殺害の凶暴なイメージを次々に思い浮かべていると、あら不思議、いつまでも持続し、妻は歓喜の涙を浮かべる。それからというもの、夫は妻を抱くたびに残虐非道な妄想を追い求めるが、いっぽう妻は夫の早漏を完治させ、満ち足りた幸せな女となって、二人は「辺りでも評判の、おしどり夫婦と噂がさらに高まるばかり」というオチになる。

クレッシェンドで笑いを次々に爆発させておいて、最後に痙攣的なすれ違いのおかしさをもってくるという、ほとんど古典的といえる完壁な構成の喜劇の大傑作である。

小説家志願者は小説を学びたかったら、野坂昭如を熟読せよ、ここには小説的技法がそろっているのだから。 (『野坂昭如コレクション』月報2に収録の解説)

【この解説が収録されている書籍】
解説屋稼業 / 鹿島 茂
解説屋稼業
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(238ページ)
  • 発売日:2001-08-00
  • ISBN-10:479496496X
  • ISBN-13:978-4794964960
内容紹介:
著者はプロの解説屋である!?本を勇気づけ、読者を楽しませる鹿島流真剣勝負の妙技、ここにあり。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

野坂昭如コレクション〈1〉ベトナム姐ちゃん / 野坂 昭如
野坂昭如コレクション〈1〉ベトナム姐ちゃん
  • 著者:野坂 昭如
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(628ページ)
  • 発売日:2000-09-01
  • ISBN-10:4336042616
  • ISBN-13:978-4336042613
内容紹介:
1963年に発表され、三島由紀夫、吉行淳之介らの賞讃を浴びたデビュー作「初稿エロ事師たち」のほか、万博に向け急ピッチで造成が進む大阪で、人間の"死に方"におのれを賭けた男たちの生き様を描く中篇「とむらい師たち」、死地ベトナムとの往還を続けるアーミーたちにロハで体を与えるベトナム姐ちゃんが横須賀の町を闊歩する表題作など、軽快な語りが充溢する十六篇。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
鹿島 茂の書評/解説/選評
ページトップへ