書評

『火垂るの墓』(新潮社)

  • 2017/08/15
アメリカひじき・火垂るの墓  / 野坂 昭如
アメリカひじき・火垂るの墓
  • 著者:野坂 昭如
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(272ページ)
  • 発売日:1968-02-01
  • ISBN:4101112037
内容紹介:
昭和20年9月21日、神戸・三宮駅構内で浮浪児の清太が死んだ。虱だらけの腹巻きの中にあったドロップの缶。その缶を駅員が暗がりに投げると、栄養失調で死んだ四歳の妹、節子の白い骨がころげ、蛍があわただしくとびかった-浮浪児兄妹の餓死までを独自の文体で印象深く描いた『火垂るの墓』、そして『アメリカひじき』の直木賞受賞の二作をはじめ、著者の作家的原点を示す6編。
野坂昭如様

初めてお便りいたします。実は、私が生まれて初めて味わった「ある感覚」のことをお伝えしたくて、ペンをとりました。

それは「あ、今日の夕飯は、白いごはんだ」という感覚でした。「白いごはんが山盛りだ。うれしい」なんて改めて感じたことなど、正直言ってそれまで一度もありませんでした。ところが突然、けれどごく自然に、私はそう思っていたのです。思ってから、逆に自分でびっくりしました。

原因はすぐに思いあたりました。その日の午後、私は『火垂るの墓』を読んだばかりだったのです。主人公の子どもたちのひもじさが、私の胃のなかにまで染みてくるような感じがしたのを、今でもはっきりと覚えています。

もちろん、極限のひもじさなど、体験していない者には、わからないことでしょう。戦争の恐ろしさもまた、そうかもしれません。

が、こと戦争に関しては「体験した者にしかわからない」ではすませられないことは、誰の目にも明らかです。体験していない者にその恐ろしさを伝え、同じ過ちを繰り返さないようにすることが、人間の知恵というもの。その際、文学の力のなんと大きいことか、ということを、私は野坂昭如さんの小説や戦争童話集に教えられました。

戦争の恐ろしさは、体験者の話や、写真、映画などさまざまなかたちで知ることができます。が、それらはすべて過去のこととして提示されます。「そうか、こういうことがあったんだな」と理解はできるのですが、そこから先にすすむことが、むずかしい。

小説は、読みはじめたら、そこに描かれている世界は現在進行形です。今、焼夷弾が落とされ、今、火の海のなかを逃げまどう。言葉で残されたものは、写真のように黄ばむこともなく、物のように風化することもなく、本の扉を開けば、常に同じ重みと同じ輝きでもって私たちの前に現れてきます。

『火垂るの墓』をはじめとする小説や戦争童話集において、もっとも素晴らしく、また大切なことの一つは「子どもの目」から書かれていることではないかと思います。

大人の都合で始まった戦争の、一番の被害者は、子どもたち。湾岸戦争にしても、日本にいる私たちは「終わった」と思っていますが、その後遺症はひどいものだそうです。イラクでは、飢えや伝染病で死ぬ子どもたちが後をたたないと聞くと、胸のつぶれる思いがします。そしてそういう子どもたちは、ただ黙って死んでゆくしかない。その苦しさや悔しさを、言葉にして伝える術もない。

人間なら誰でも「子どもが死ぬ」と聞けば「かわいそう」と思うのはあたりまえです。が、そのあたりまえに思う「かわいそう」以上の、力のこもった「かわいそう」を私が今感じるのは、野坂さんの作品に出会っているからだと思います。

――作品の持つ魅力の一面ばかりを、強調しすぎたでしょうか。ここまで書いてきて、少し反省しています。

もちろん、野坂さんは「戦争の悲惨さを伝えるために」という旗を掲げて、作品を書かれたのではないと思います。何よりもまず、作家として「書きたい」という気持ちがあって、自己実現としての作品が生まれ、その結果「戦争の悲惨さ」が伝わった。しかも、それは作品の持つ魅力の一部に過ぎないし、極限すればそれは、人間を描くための背景に過ぎないのだとも言えるでしょう。

私は今、ある出版社の国語の教科書の編集委員をつとめています。最も大変な仕事は教材選びですが、中学三年生のための教科書に、『戦争童話集』のなかの「凧になったお母さん」が載っています。この作品が掲載されることには、私も大賛成ですが、編集会議のとき、ちょっとした議論がありました。

それは、載せる載せないの議論ではありません。「凧になったお母さん」のほかにも、戦争が背景になっている教材がいくつかあります。それらをひとまとめにして、会議では「平和教材」と呼んでいました。つまり、「生徒に平和を教えるための教材」というわけです。で、各学年に最低でもいくつかの平和教材を入れなきゃいけない、とか、平和教材はやっぱり八月以降に学習されるよう配列しよう、とか、そういうふうに話が進んでゆきます。

私は「えっ、ちょっと待って」という気持ちでした。教材を分類する言葉として、それがあまりにも異様な感じがしたからです。ほかはといえば「詩」「小説」「評論」……というような、ごく自然な分類です。委員のなかでは一番若く、また経験も浅い私でしたが、思いきって発言しました。

「あのう、平和教材っていうくくりかたは、おかしいんじゃないでしょうか。作者は小説を、あるいは詩を書こうと思って書いているわけで、平和教材を書こう、とは思っていないと思うんですね。もちろん、これらの作品から平和が大事だということは読みとれますが、それだけではない魅力もあるわけで、平和教材という言いかたは、作品の幅を狭めてしまうように思います。それに、そのほかの詩や小説からも、直接的ではないにしても平和を学びとることはできるわけですし」

とりあえずそれは、便宜的な呼称にすぎない、ということでその場はまとめられました。 が、いまだに私のなかでは、何か割りきれない思いが残っています。それはたぶん、自分が小説や詩を読むときの戒めとして、残っているものなのでしょう。

『火垂るの墓』も、「こんなにせつなく一生懸命生きている兄妹を死なせた戦争は悪い」という文脈よりも、「戦争という悲惨な状況のなかで、こんなにせつなく一生懸命生きた兄妹がいた」という文脈で読むことが、大切なのではないかと思います。その結果、作品によって戦争を二次体験した私たちは、平和の重みをも知ることができるのでしょう。

いろいろと生意気なことを書いてしまいました。作品が私に与えてくれた二次体験の強烈さ(白いごはんに鋭く反応したこと)と、いつまでも色褪せないこんなに素晴らしい言葉を残してくださったことへの感謝の気持ちとを、ただお伝えしたくてペンをとったはずでしたのに。

それでは、このへんでペンを置きます。手紙の最後の言葉としては「乱筆乱文お許しください」というのが私は好きなのですが、活字のファンレターですから「乱筆」はヘンですね。乱文のみ、お許しください。

【この書評が収録されている書籍】
本をよむ日曜日 / 俵 万智
本をよむ日曜日
  • 著者:俵 万智
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(205ページ)
  • ISBN:4309009719
内容紹介:
きょうの予定…一日読書。切ない本、わくわくする本、やさしい気持になれる本 実は楽しい古典から、話題のベストセラーまで「ねぇ、これおもしろかったから読んでみて。」。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

アメリカひじき・火垂るの墓  / 野坂 昭如
アメリカひじき・火垂るの墓
  • 著者:野坂 昭如
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(272ページ)
  • 発売日:1968-02-01
  • ISBN:4101112037
内容紹介:
昭和20年9月21日、神戸・三宮駅構内で浮浪児の清太が死んだ。虱だらけの腹巻きの中にあったドロップの缶。その缶を駅員が暗がりに投げると、栄養失調で死んだ四歳の妹、節子の白い骨がころげ、蛍があわただしくとびかった-浮浪児兄妹の餓死までを独自の文体で印象深く描いた『火垂るの墓』、そして『アメリカひじき』の直木賞受賞の二作をはじめ、著者の作家的原点を示す6編。

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初出メディア

鳩よ!(終刊)

鳩よ!(終刊) 1992年3月

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