書評
『八日目の蝉』(中央公論新社)
トヨザキ的評価軸:
「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
昨年三月に出た角田光代の『八日目の蝉』を今さら読んで驚愕昇天、愛人の妻が産んだ赤ん坊をさらった女、なんてありふれた物語を描いて比類なき小説に仕上げている手腕に、恐れ入谷の鬼子母神なんですの。
第一章は、さらった子に薫と名づけた希和子の逃避行を描いてるんですが、四千万円近い蓄えがあっても、住民票と戸籍、夫の雇用証明書の提出が求められるためアパートを借りることもかなわず、もろもろあった末、駆け込み寺的コミュニティ「エンジェルホーム」に身を隠すことになってからの顛末が哀切きわまります。全財産をホームに委託する誓約書にサイン。二年間の潜伏生活を送るも、やがてそこも出ていかざるを得なくなり、着の身着のまま、ホームで仲が良かった女性の実家がある小豆島へ。ようやく心穏やかな生活を手に入れるのですが――。
続く第二章は、無事両親のもとに戻り、今では成人している恵理菜(薫)のアルバイト先に、ホームでお姉さん的存在だった千草が訪れる場面から始まります。「あんたを見ると、あの女を思い出す」と眩く情緒不安定な母。罪悪感からか家族と距離を取り、ほとんど喋らず岩のように動かず酒を飲んでいる父。そんな逃げることしか知らないような両親が疎ましい。両親がだめな人間になってしまったのも、世間の容赦ない噂で職を変え、居場所を転々とせざるを得ず、普通の家族のような暮らしが送れなかったことも、全部自分をさらった希和子という女のせいだ。かたくなな表情の下にたくさんのどろどろした思いを隠しこむようになってしまった恵理菜が、千草と共に過去を検証し、再生しようともがく姿と心境を描いた第二章もまた愚かさと悲しみに溢れていながらも、第一章にはなかった希望を最後において素晴らしい読み心地を約束してくれます。
エンジェルホームについてのルポを書こうとしている千草の登場によって、第一章ではぼかされていた希和子の過去の詳細が第二章で明らかにされるという仕掛けが見事。その”情報の遅延”というじらしのテクニックが功を奏し、読者は希和子に対し、犯罪者に寄せるべきではないほどのシンパシーを高まらせるに至り、それゆえ物語の終わり近くに用意されている、十七年前希和子がつかまった時に放った言葉を恵理菜が思い出すシーンで、落涙してしまうほどの哀れを覚えるのです。巧いっ!
直木賞受賞作『対岸の彼女』(文春文庫)が今となっては稚拙な小説としか思えないくらいの高度成長。角田光代の尋常ならざる手練れぶりを示す傑作なんであります。
 
【この書評が収録されている書籍】
 
 「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
角田光代の高度成長っぷりに、今さらですが驚愕昇天
読み損ねていた自分に喝!昨年三月に出た角田光代の『八日目の蝉』を今さら読んで驚愕昇天、愛人の妻が産んだ赤ん坊をさらった女、なんてありふれた物語を描いて比類なき小説に仕上げている手腕に、恐れ入谷の鬼子母神なんですの。
第一章は、さらった子に薫と名づけた希和子の逃避行を描いてるんですが、四千万円近い蓄えがあっても、住民票と戸籍、夫の雇用証明書の提出が求められるためアパートを借りることもかなわず、もろもろあった末、駆け込み寺的コミュニティ「エンジェルホーム」に身を隠すことになってからの顛末が哀切きわまります。全財産をホームに委託する誓約書にサイン。二年間の潜伏生活を送るも、やがてそこも出ていかざるを得なくなり、着の身着のまま、ホームで仲が良かった女性の実家がある小豆島へ。ようやく心穏やかな生活を手に入れるのですが――。
続く第二章は、無事両親のもとに戻り、今では成人している恵理菜(薫)のアルバイト先に、ホームでお姉さん的存在だった千草が訪れる場面から始まります。「あんたを見ると、あの女を思い出す」と眩く情緒不安定な母。罪悪感からか家族と距離を取り、ほとんど喋らず岩のように動かず酒を飲んでいる父。そんな逃げることしか知らないような両親が疎ましい。両親がだめな人間になってしまったのも、世間の容赦ない噂で職を変え、居場所を転々とせざるを得ず、普通の家族のような暮らしが送れなかったことも、全部自分をさらった希和子という女のせいだ。かたくなな表情の下にたくさんのどろどろした思いを隠しこむようになってしまった恵理菜が、千草と共に過去を検証し、再生しようともがく姿と心境を描いた第二章もまた愚かさと悲しみに溢れていながらも、第一章にはなかった希望を最後において素晴らしい読み心地を約束してくれます。
エンジェルホームについてのルポを書こうとしている千草の登場によって、第一章ではぼかされていた希和子の過去の詳細が第二章で明らかにされるという仕掛けが見事。その”情報の遅延”というじらしのテクニックが功を奏し、読者は希和子に対し、犯罪者に寄せるべきではないほどのシンパシーを高まらせるに至り、それゆえ物語の終わり近くに用意されている、十七年前希和子がつかまった時に放った言葉を恵理菜が思い出すシーンで、落涙してしまうほどの哀れを覚えるのです。巧いっ!
直木賞受賞作『対岸の彼女』(文春文庫)が今となっては稚拙な小説としか思えないくらいの高度成長。角田光代の尋常ならざる手練れぶりを示す傑作なんであります。
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