解説

『気晴らしの発見』(新潮社)

  • 2017/12/05
気晴らしの発見 / 山村 修
気晴らしの発見
  • 著者:山村 修
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(188ページ)
  • 発売日:2004-02-01
  • ISBN-10:4101435219
  • ISBN-13:978-4101435213
内容紹介:
心の不調なときにこそ、人は心の謎に近づくのかもしれない―。突然始まった不眠に続き、手足のしびれ、呼吸と心拍の異常、寒気などの強度のストレス症状にとまどい苦しむ「私」。ストレスから抜け出そうとする試み自体が、またストレスとなる堂々めぐりの日々の果て、思いがけず「私」が辿り着いた場所とは。健康と不健康のあやうい境界に立った者だけが知る、心の新たな地平を探る。
『気晴らしの発見』(新潮文庫)を読みながら、私は、あのときの青空をたびたび思い出した。

十年ほど前、体に異変があり、深刻な病気ではないかと心配になったことがあった。病院であちこちの検査を受け、その結果が明らかになるまで三週間くらいかかった。病気慣れしていない私にとっては、耐えがたく辛い三週間だった。我ながら呆れるほどの意気地なし。笑ってください。食事ものどを通らず。仕事も手につかず。この世と地獄の間で宙ぶらりんになっているかのよう。

そんな日々、私はなぜか空ばかり見ていた。ぼんやりと空を眺めていると、頭の中で、きつくこんがらがっていた糸が、かすかにユルユルとほどけて行くようだった。かじかんでいた心が空の向こうにフラフラとさまよい出て、広がって行くようだった。

ある日。実家(母と妹一家が住んでいる)に帰った時、犬の散歩で公園まで出かけた。溜息をつきながらベンチに腰かけた私は、あたりに人が少ないのを幸い、ゴロンと横になってみた、寝ころがって空を見ていたくなったのだ。早春の、よく晴れた日だった。ケヤキの樹を透かして青空が広がっていた。

私の視界には樹と空とだけがあった。

不意に奇妙な気分がこみあげて来た。「完全だ」と思った。何の過不足もない、満ち足りた世界。自分の過去も現在も未来も全部この一場面、この一瞬、これだけで十分といったような気持。大げさに言うなら「永遠」というものが鼻先をよぎって行ったような感じ。

その後、検査の結果は「異状なし」ということになって、とんだ空騒ぎに終わってよかったのだけれど、あのときの青空は心に強く焼き付いた。そのことを、読みながら何度も思い出したのだ。そして、つくづくと思ったのだ。「ああ、この人も空を見る人なんだなあ。心が空にある人なんだなあ」と。

『気晴らしの発見』はタイトル通り「気晴らし」がメインテーマの本である。この数年げんなりするほどはやっている「癒やし」でもなく、近頃はやり始めた「スローライフ」でもなく、「気晴らし」という言葉を選んだところが好もしい、心にかかる雲もなし――。「気晴らし」というのは、そんな晴朗な気分を表わす、いい日本語だと思うから。

著者にとって、結局、「気晴らし」というのは、自分の心の中に青空を見ることなのだった。青空の発見なのだった。青空への偏執――。それは最初のエッセー集『禁煙の愉しみ』を読んだ時から強く感じられたものだった。一日に紙巻きを三十本、二十七年間吸い続けて来たという著者が、禁煙を思い立った動機は「健康のため」ではなくて、「少年の日の青空をまた見たくなって」だったと書いていた。

今回の『気晴らしの発見』でも特に一章(第4章・青空の出現)をさいて、青空のイメージについて語っている。その中で「私の青空」と題して次々と繰り出される、憧れの「空の青」のイメージは圧巻だ。ここはもう、一つ、一つ、ゆっくりと、繰り返し読みたくなる。ほとんどお経とか祈りの言葉のように。

そうだ。ある意味ではほんとうにお経であり祈りなのだ。私は、冒頭に書いた十年前の青空を思い出しながら、そう思う。

私は宗教心が薄く、神にも仏にも祈ることはないけれど、「名付けられない何か大きなもの」に身をすり寄せたいというか祈りたい気持だけはある。それは「宇宙」かもしれないし、「永遠」かもしれないし、「無」かもしれない。そういう思いが、神仏の形をとってではなく、青空のイメージになって現れるのではないだろうか。

実は私も以前、「私の青空」というタイトルの本をシリーズで三冊、出版したことがあった。偶然とは思わない。晴朗な気分を求める気持が人一倍強い人間というのがいるのだ。人の心の、あるいは人の世の、闇をみつめ続けたいという人もいれば、青空をみつけ続けたいという人もいるのだ。

次々と繰り出される「空の青」イメージの中で、私が案外一番好きかなと思ったのは、旅先の喫茶店で見る「空の青」だ。

旅先で入ったコーヒー店には窓がなく、密室のように閉ざされている。店内は暖房が効いていて、外の身を切る寒さがみるみるほどけていく。明日は東京に帰る。もう一泊、延ばそうか。見上げると小さな天窓があって、真っ青な空が四角く切り取られている。東京では見ない、深い青。たとえば、そんな空の青

青空イメージの話に追われて、「解説」らしいことが後まわしになってしまったけれど……この『気晴らしの発見』は、のんきムードのタイトルの割に、中味は濃く、時にサスペンスフルと言ってもいい。

著者は不眠症から、ふと梶井基次郎の「檸檬」を思い出し、その中の「不吉な塊」という言葉にハッとし、ストレスについて調べ始める。ハンス・セリエの逆転的発想によるストレスの発見、そして多田道太郎の二度にわたる奇怪な体験、コレステロールを発見したシュブルール教授の話……と、心と体の不思議にみちた話が連鎖的に展開されて行く。ストレスといい、コレステロールといい、日常生活の中でなじみ深い言葉だけれど、こんな秘話があったとは。こんな怪人、いや快人たちの発見によるものだったとは。その追跡のプロセスにサスペンス感がある。きまじめなおかしみもある。

博覧強記の著者ゆえに、「気晴らし」がテーマの本でもおのずから面白いブックガイドにもなり、快人列伝にもなってしまうのだ。

(次ページに続く)
気晴らしの発見 / 山村 修
気晴らしの発見
  • 著者:山村 修
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(188ページ)
  • 発売日:2004-02-01
  • ISBN-10:4101435219
  • ISBN-13:978-4101435213
内容紹介:
心の不調なときにこそ、人は心の謎に近づくのかもしれない―。突然始まった不眠に続き、手足のしびれ、呼吸と心拍の異常、寒気などの強度のストレス症状にとまどい苦しむ「私」。ストレスから抜け出そうとする試み自体が、またストレスとなる堂々めぐりの日々の果て、思いがけず「私」が辿り着いた場所とは。健康と不健康のあやうい境界に立った者だけが知る、心の新たな地平を探る。

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