書評
『街場の現代思想』(文藝春秋)
凡人の悩みに答える人生知とは
時の経過というのは恐ろしいものだ。二〇年前まではあれほど輝いていたフーコー、バルト、ラカン、レヴィストロースといったフランスの現代思想がいまや輝きを失ったばかりか、完全に過去のものとして扱われている。根底的な批判を加え、価値なしと葬ったわけでもなく、時が過ぎたというただそれだけのために、である。いったい、あれはなんだったのか? フランス現代思想は日本にはなんの痕跡も残さなかったのか?こんな思いにかられている時に「『おじさん』的思考」を以て出現したのが著者である。この人はフランス現代思想を批判的に摂取したばかりか、それを人生知として血肉化することができている、そう感じたのは私だけではあるまい。この「街場の思想家」が学生の「人生相談」に答えるというかたちで自らの思想を語ったのが本書である。
たとえば、実力に比べて給料が不当に低いと感じている若者に対して、著者はこう答える。会社員はだれでも自分より出世が早く、給料の多い同僚がいれば、それはゴマスリや情実のおかげだと考える。彼は「勤務考査が適正でないという」事実によって、出世の遅さや給料の低さを彼なりに解釈して合理化しているのである。そこには不利益と同時に利益もあるのだが、彼はその「利益」に気づいていない。そのことは勤務考査が真に厳正な会社があると仮定してみるとよくわかる。
君より給料が一万円高い隣のスズキは、君より一万円分「人間的能力が上」だということになる。そうだよね? そういうルールでやっているんだから。「おい、オレより一万円分無能なヤマダくん、これコピーしといて」というスズキの業務命令に君は「はい!」と従わなければならない
これはユートピアならぬディストピアである。ゆえに、著者は次のように結論する。
完全に公正な能力査定に基づく完全な能力主義社会というのは、ありえないし、あってはならないものだと私は思う。それは人間の「うぬぼれ」を完膚無きまでに破壊してしまう社会だ。それは、構成員のほとんどが「生きる気力」を失い、組織の士気が致命的に下がってしまう社会である。だから、私たちはそんな社会の到来をほんとうは望んでいないのである
また転職の悩みへの回答はこうだ。転職を考えざるをえない状況に追い込まれているということは、入社の時点で転職したくなるような会社を選ぶという「最初の不適切な決断」をしてしまったことを意味する。だから、この一度目の選択の失敗がどこから来ているかを考えて、問題点の発見と改善につとめなければ、同じ失敗が繰り返されることになる。
結婚は「いいこと」かという問いに対する答えも秀逸だ。結婚は親族という「不快な隣人」ばかりか、子供という究極の「不快」をもたらすからこそ「いいこと」なのであるという。
結婚は快楽を保証しない。むしろ、結婚が約束するのはエンドレスの「不快」である。だが、それをクリアーした人間に「快楽」をではなく、ある「達成」を約束している。それは再生産ではない。「不快な隣人」、すなわち「他者」と共生する能力である。おそらくはそれこそが根源的な意味において人間を人間たらしめている条件なのである
結婚とは、「理解も共感もできなくても、なお人間は他者と共生できることを教えるための制度なのである」。
凡人の日常生活の悩みにも答えられるのが、本物の思想であることを教えてくれる本。
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