書評

『コクトー、1936年の日本を歩く』(中央公論新社)

  • 2017/12/01
コクトー、1936年の日本を歩く / 西川 正也
コクトー、1936年の日本を歩く
  • 著者:西川 正也
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(225ページ)
  • ISBN-10:4120035719
  • ISBN-13:978-4120035715
内容紹介:
「八十日間世界一周」の旅に出たコクトーは、二・二六事件から二か月半を経たばかりの日本を訪れる。鋭敏な知性は日本社会の表情をどのように描き出したか。

ある邂逅、天才詩人と日本

菊之助、松之助とともに、いわゆる「三之助」の一人として人気を博していた市川新之助が十一代海老蔵を襲名したのは2004年。東京はもちろん、大阪、名古屋に次いで行ったパリでの襲名披露も大盛況かつ大好評だったようである。パリっ子たちは、新・海老蔵の美しい舞台姿にさぞかし魅了されたことだろう。

しかし、歌舞伎がフランス人の心をとらえたのはこれが初めてではない。二・二六事件からわずか二ヶ月半後の1936年5月、日本を訪れたジャン・コクトー(1889-1963)も東京・歌舞伎座で、昭和の名優の名をほしいままにした尾上菊五郎の舞台に接し、その魅力に深くとらわれた一人だった。当時コクトーは「創作の面でも実生活の面でも」行き詰まっていた。そうした状況を打開するため、コクトーと同居していた青年マルセル・キル(1912-40)が提案したのが、ジュール・ヴェルヌの作品名に倣った「八十日間世界一周」Le tour du monde en quatre-vingts joursの旅であった。ローマからギリシア、エジプト、インド、ビルマ、マレーシアとたどった二人の旅に、香港からはチャップリン(1889-1977)が加わる。1936年5月16日、彼らは神戸の地に降り立つ。チャップリンは三度目、コクトーにとっては初めての日本だった。堀口大学や佐藤朔や堀辰雄による翻訳、画家東郷青児訳『恐るべき子供たち』(1930)の大成功のおかげで、コクトーは「仏文壇の花形」としてチャップリンに劣らず、熱狂的に迎えられた。

5月22日にアメリカに向けて出立するまで、わずか一週間足らずの滞在に過ぎなかったが、何しろ「僕の滞在は、一日いるか、一年いるか二つに一つしか意味はない」と公言する天才詩人である。コクトーは何を見て何を感じ何を考えたのか。本書はそうした問いに対する卓越した解答となった。まず第一に筆の運びが素晴らしい。リズムと論理が、人間の心の機微をあざやかに浮かび上がらせる。第二に、全体の構成が巧みである。旅の始まりを描く第一章、歌舞伎についての第二章、大相撲の第三章、下町探訪の第四章、日本の現代作家や日本絵画との出会いを詳説する第五章、旅の終わりを綴る第六章。これらが有機的に関連しあい、コクトー滞日の一週間の日々を余すところなく描き出す。第三に目配りの良さ。詩人、劇作家、小説家、脚本家、映画監督、俳優、画家……多面体たるコクトーの全体像を掴むには、種々の証言を丹念に蒐めて再構成してゆく必要がある。西川氏はそれをじつに自然に成し遂げた。読者は本書を通じて、詩人の天才の秘密を見出すだろう。そればかりか、1936年の関西と東京という時空間から逆照射した現在の、さらにはこれからの日本の姿を垣間見るに違いない。
コクトー、1936年の日本を歩く / 西川 正也
コクトー、1936年の日本を歩く
  • 著者:西川 正也
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(225ページ)
  • ISBN-10:4120035719
  • ISBN-13:978-4120035715
内容紹介:
「八十日間世界一周」の旅に出たコクトーは、二・二六事件から二か月半を経たばかりの日本を訪れる。鋭敏な知性は日本社会の表情をどのように描き出したか。

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初出メディア

ふらんす

ふらんす 2005年2月

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