書評
『ビリー・ザ・キッド全仕事』(国書刊行会)
アカデミー最優秀監督賞はロバート・ゼメキス
ではなくマイケル・オンダーチェ
ある時、知り合いからこういう質問をされた。「高橋さん、どういう具合に本を読むんですか」
だから、ぼくはこう答えた。
「どういう具合ってさあ、頁を手でめくりながら目で読むに決まってんじゃん」
「んじゃなくて、ノートやメモをとりながら読むとか」
「ああ、ぼくはノートもメモもとらないよ。みんな本に直接書き込んじゃうもの」
「感想とかですか?」
「だから、みんなだってば。ぼく、他にノートもメモも持ってないから、感想も創作ノートも競馬の予想もみんな本に書き込んじゃうんだよ」
重要な秘密は往々にして、簡単に露見してしまう。そう、ぼくは小説を書く時も、評論を書く時も、エッセイを書く時も、競馬の予想を書く時も、一切ノートやメモをとらない。みんな、本に(競馬の予想や競馬コラムの時は競馬新聞に)書き込んじゃうのである。いや、買物リストから、来月の予定、秘密の電話番号に誰かの悪口に英単語の意味、なんだって書いちゃうのである。だから、ぼくが死んだら、みなの衆、ぼくの蔵書をめくってみて下さい。ついに書かれざるほんとうの傑作がそこにある……はずである。
そうはいっても、手にするあらゆる本に書き込みを入れるわけじゃない。
つまらない本からは受ける刺激も少なく、書き込みは極端に少なくなる。しかし、そのつまらなさも度を超すと、書き込みの量はまた逆に増えてゆく。ひとつは悪口。これはわかる。もうひとつが、ぜんぜん関係のないひとりごとのようなもの。要するに、目は文章を追っているのだが、頭は別のことを考える。心ここにあらずってやつ。いつだったか、ある雑誌である作家のある小説を読んでいたらあまりにつまらなかったのでこの「心ここにあらず」症候群にかかって、夢遊病者のように読み進み、とうとう小説が終わって次のある作家のある小説になったのにも気づかずその作品まで読み終わっちゃったことがあったっけ。つまらなさの程度が同じぐらいひどかったのでわかんなかったのだ。あの時はずいぶん書き込んだし、ずいぶんいいことを書いてたと思ったけど、まさか小説が途中で替わってたとはねえ。
一方、面白い本の場合は必ず書き込みが多い。とはいっても、書き込み方にもいろいろある。 昨年度、高橋家の蔵書中「文章の横に引いた傍線の数と長さNo.1」賞に輝いたマイケル・オンダーチェの『ビリー・ザ・キッド全仕事』(福間健二訳、国書刊行会)の書き込みは傍線ばかりでほとんど文字はない。
たとえば、五三頁は全頁にわたって傍線があり「最優秀描写技術賞」と書いてある。
五八頁の九行目から一四行目にも傍線があって、ここは「最優秀撮影技術賞」と書き込んである。
さらに、七二頁の六行目から一六行目までが傍線で、ここは「最優秀音響効果賞」、そして七九頁から八一頁までは全文に傍線があり、赤のサインペンで「最優秀助演男優賞!」、九五頁から九七頁の一一行目まで傍線が引かれ、ここも赤のサインペンで「最優秀特殊効果賞!」、一一四頁の八行目の終わりから一三行目の途中まで傍線があり「よおし、最優秀助演女優賞もやっちゃおう!」と続いてゆくのである。ゴメンね、引用したいけどスペースがなくってさ。
【新版】
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