歴史家の史料批判、推理法を知る
今年はNHKの大河ドラマ「真田丸」が放映されて真田信繁関連の出版物が山ほど出ている(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2016年1月)。こうした「大河関連本」は質にばらつきがある。たいていは既存の説を紹介し、諸説を併記するにとどまる。しかし、なかには史料にひろくあたり、きちんと諸説を検討し、著者自ら判断を下して、自説・私見を展開したものもある。本書などは後者の一つといってよい。真田氏は戦国大名武田氏の支配下にいた時期が長かったから、真田氏研究は武田氏研究者によって進められてきた。柴辻俊六氏の『人物叢書(そうしょ) 新装版 真田昌幸』や寺島隆史氏が長野県地域史研究誌『信濃』に発表した論文などで、真田氏や真田信繁の研究が近年すすんできた。
今回の大河ドラマの時代考証は、黒田基樹、平山優、それに本書の丸島和洋の三氏である。黒田氏は『真田昌幸 徳川、北条、上杉、羽柴と渡り合い大名にのぼりつめた戦略の全貌』を出版。平山氏も『大いなる謎 真田一族 最新研究でわかった100の真実』、『真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実』の二著を上梓(じょうし)している。本書まで四冊全部を読めば、ドラマの時代考証担当者三人の真田氏についての考えが概(おおむ)ねわかる。ここでは三人の中で一番若手の丸島氏の著を紹介する。
基本的には、柴辻氏の説を踏みながら、最新の研究をふまえ、自分で史料批判を行いつつ、自説をのべている。真田信繁で異説が生じるのは、その母(真田昌幸妻)の出自。著者は公家(菊亭家や正親町家)の娘ではないが「昌幸正室山之手殿は公家の侍女出身の蓋然(がいぜん)性が高く、武田氏滅亡後に信玄養女と脚色されたと考えておきたい」とする。史料にはどこにも「侍女」とはない。かなり踏み込んだ私見をはっきり書いている。白川亨氏などが唱える山之手殿を宇多頼忠という豪族の娘とする説はとらず「これは明らかに誤伝」と捨てる。信繁妹(昌幸娘)が宇多頼忠の子に嫁いだのを誤解したとするのである。
本書は物言いがはっきりしている。真田信繁は最晩年まで信繁で幸村を称した形跡は確認できないと断定する。幸村と書いた書状は花押(サイン)が違うから偽文書と判定してそう結論する。信繁は討ち死に直前まで、戦場で手柄を立てた配下に将棋の駒型の感状(戦功認定書)を与えていたが、そこには信繁とサインしていて、正しい花押もある、という。
専門家には知られた事実だが、信繁が豊臣秀次の忘れ形見の娘を妻にして女子をもうけていたことの実否が検討され、信繁が焼酎が好きであったこと、九度山では経済的に苦しく、兄に、焼酎を送ってくれるようしつこく頼んでいること、その時分には、好白(こうはく)と号して、坊主姿になっていたことなども紹介している。大河ドラマでは、九度山の信繁が史実通りに坊主頭になって出てくるか楽しみである。信繁は豊臣秀頼のもとめに応じて大坂に入った時点ではまだ無名であった。信繁は家康に名を知られておらず、真田が大坂に入城した時、家康が「親か子か」と尋ね戸に手をかけて震え上がったというのは後世の創作だ。本書は、当時の「信繁認知度」を史料の名前誤記から読み取っている。西国監視役の京都所司代板倉勝重は、信繁は源次郎なのに源三郎と名を誤記。一方、金地院崇伝は真田左衛門佐(さえもんのすけ)とちゃんと書いていて認識度が高いという。
このように本書は内容もさることながら、歴史家の史料批判や推理の進め方や思考法を知る参考になる。歴史学を目指す若い方にぜひ読んでいただきたいと思う。