書評

『世界文学とは何か?』(国書刊行会)

  • 2018/05/17
世界文学とは何か? / デイヴィッド・ダムロッシュ
世界文学とは何か?
  • 著者:デイヴィッド・ダムロッシュ
  • 翻訳:奥 彩子,桐山 大介,秋草 俊一郎
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(528ページ)
  • 発売日:2011-04-27
  • ISBN-10:4336053626
  • ISBN-13:978-4336053626
内容紹介:
ギルガメシュ叙事詩、源氏物語、千夜一夜物語といった「古典」から、カフカ、ウッドハウス、ミロラド・パヴィチ『ハザール事典』まで、翻訳をつうじて時空間を超え、新たな形で流通しつづける「世界文学」可能性を問う両期的論考。

翻訳で豊かさを増す「星座」の可変性

翻訳大国ニッポンにおいて、外国文学の翻訳に携わる人たち、外国文学を評する人たち、もういっそ翻訳書を読むすべての人たちにお薦めしたい一冊である。専門研究書の域にとどまらず、読むという行為の根幹にかかわる問題を提起している。

ダムロッシュは近現代の主要な翻訳・文学理論をあげながら、流通・翻訳・生産の三部にわけて、世界文学の捉えがたい姿を浮き彫りにしようとする。ギルガメシュ叙事詩の探求に始まり、ラムセス五世時代の巻物に収められた恋愛詩に対する解釈の変遷を検討し、カフカが普遍的なモダニストから民族的アイデンティティーをもつプラハのユダヤ人作家へと再解釈され(ゆえに翻訳も著しく変化し)ていく過程を追い、『それゆけ、ジーヴズ』のウッドハウスや『ハザール事典』のパヴィチの「翻訳」を通じた流通戦略を検証し、グアテマラのリゴベルタ・メンチュウの証言文学の「虚偽」とその受容の道すじをたどる。

ここで、本書訳者陣の秋草俊一郎氏による『ナボコフ 訳すのは「私」』(東京大学出版会・三九九〇円)も参照しておきたい。この亡命作家が英語・ロシア語の自作に対して行った自己翻訳を細密に検証することで、作品と作家への理解を深めるとともに翻訳の創造性、独立性という問題を掘りさげる名著だ。この二冊の核心には、「翻訳になにができるか、できないか?」という厳然たる問いがある。

ゲーテが「ヴェルトリテラトゥーア(世界文学)」という新語を創案してから一八〇年あまり、現代の世界文学とは、「正典(カノン)のテクスト一式ではなく」「翻訳を通して豊かになる作品」だとダムロッシュは定義する。となれば、世界文学の内容は、その国・言語・文化によって変わってこなければおかしい。例えるなら星座だ。国や文化、いや、個々人によってすら、星座の見え方感じ方は違うはずだ、と。なるほど、かつて「名作」なるものには、不動性やー貫性が漠然と期待されていた。世界中どこに行っでも揺るがぬ価値、一貫して守られる意味。だからこそ文学後進国たった日本は「本場の正しい読み方」を目指して精進した。また、西欧の翻訳理論家にも、言語の「鏡映」でもって「原作をまるごと翻訳にもちこむ」というベンヤミン的なユートピアを夢みてきた一派はあった。しかしダムロッシュに言わせれば、世界文学の主な特徴とはむしろ「可変性」なのである。翻訳というダメージと引き換えに、新土壌の中でより多くを得られる作品こそが世界文学だ。

他方、可変性にとぼしく翻訳されて「貧しくなる文学」はローカルな国民文学にとどまり、世界文学にはなりえないと言う。念のため書いておくと、狭い範囲のことを書いているからご当地文学だというのではない(例えば『源氏物語』や『ユリシーズ』)。逆に、「グローバル」な書き方をすれば世界文学になるのでもない。この点にはダムロッシュは厳しく、ある中国の詩人に対しては、欧米のモダニズムを真似(まね)て「自分で自分を翻訳しているような」「他国でも理解されやすいように書かれたもの」だと指摘している。

カフカのテクストの改訂と再翻訳について、「客観的によくなった」のか、それとも「私たちの現在の好みに近づいただけなのか」「いまの多文化的な価値観へと巧妙に同化させているだけか」と問う箇所は、新訳を大量に生みだしている今の日本でこそよく惟(おもいみ)られるべきだ。秋草氏は『ナボコフ――』で、翻訳と時間を通して移り変わる文体を「動く標的」と呼んでいる。訳文の良し悪(あ)しは客観的に判断できるのか。そもそも「翻訳を通して豊かに/貧しくなる作品」と「作品をより豊かに/貧しくする翻訳」の相互作用は簡単に分かちがたいことが、同書を読むとわかる。

日本はモノリンガル(単一言語使用者)の比率が高く、原書を読まずに翻訳テクストだけで著作物を評することが広く行われている。例えば、外国語の原文を見ずに文体を論ずるとすれば、人体に触れずに医者をやるような、些(いささ)か無茶(むちゃ)なことになりはしないか。そんな疑問も生じるだろうが、世界文学論の中では、作品は翻訳だけで完全に理解できるとする意見もある。私の知るかぎりミラン・クンデラはそう発言したことがあるし、『世界文学――』にもそのような見解が引かれている。この考えはつきつめれば、「原典(オリジナル)の消失」という地点にいきつく。現代文学にとって「作者の死」の後に待ち受けているものはこれだったか。ちなみに、ダムロッシュ本人は外国語習得を奨励すると同時に、翻訳による読書も大いに勧め、考え方次第では「翻訳を生産的な批評活動に役立てることもできる」とする。同書の解説者はこの姿勢を「精読(close reading)と遠読(distant reading)との和解」と呼んでいる。方言の訳し方についての提言など、繊細な翻訳観をもつ日本の読者には違和感を覚えるくだりもあるかもしれないが、そうした点も含め重ねて一読をお勧めしたい。
世界文学とは何か? / デイヴィッド・ダムロッシュ
世界文学とは何か?
  • 著者:デイヴィッド・ダムロッシュ
  • 翻訳:奥 彩子,桐山 大介,秋草 俊一郎
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(528ページ)
  • 発売日:2011-04-27
  • ISBN-10:4336053626
  • ISBN-13:978-4336053626
内容紹介:
ギルガメシュ叙事詩、源氏物語、千夜一夜物語といった「古典」から、カフカ、ウッドハウス、ミロラド・パヴィチ『ハザール事典』まで、翻訳をつうじて時空間を超え、新たな形で流通しつづける「世界文学」可能性を問う両期的論考。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2011年5月22日

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