書評

『あくてえ』(河出書房新社)

  • 2024/03/22
あくてえ / 山下 紘加
あくてえ
  • 著者:山下 紘加
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(176ページ)
  • 発売日:2022-07-15
  • ISBN-10:4309030637
  • ISBN-13:978-4309030630
内容紹介:
あたしの本当の人生はこれから始まる。小説家志望のゆめは90歳の憎たらしいばばあと母親と3人暮らし。
ままならなさを悪態に変え奮い立つ、19歳のヘヴィな日常。第167回芥川賞候補作。

レジリエンスの、残酷な物語

ひとの強さ、弱さとは何かを考えるとき、あるタイ作家の「闘鶏師」という中編をよく思いだす。どんな不利な対戦でも闘いつづけるのは強いのか。それは恐怖にあおられて敵に突進し血まみれになる鶏たちは強いのかと尋ねるのに似ていないか、という問いかけがある。ならば、真の強さとはレジリエンス、すなわち回復力、復元力をもつ柔さだろうか。打たれてたわんでも跳ね返して元に戻ろうとするのがresilienceだ。

『あくてえ』(悪態の甲州弁)はレジリエンスの物語ともいえる。語り手のゆめは19歳、派遣社員、小説家志望、新人賞の予選をまだ通過できていない――。「ポリティカルコレクトな表現」が求められるこの時勢に、語り手は90歳の祖母をのっけから「ばばあ」と呼び、呼びつづける。本人の前ではおおむね「ばあちゃん」と呼び分けるが、激昂(げっこう)すると「あんた」になったりする。

母親のきいちゃんはパート職。父親はよそに家庭をつくって離婚し、3年前に出ていったが、生活費の振り込みはときに滞る。この家に、父が連れて出ていったはずの祖母が舞い戻って、居着いてしまったのだ。

女をつくって妻子を捨てた男の母の世話を、きいちゃんが引き受けているのはなぜか。かつて故郷の山梨を離れ、小児喘息(ぜんそく)だった幼いゆめの面倒をみてくれた恩があるからと言うが、病気を抱えた「ばばあ」のケアは並大抵ではない。都合よく耳が聞こえたり聞こえなくなったり、高い補聴器を買ってあげてもむしり取り、ベッドから落ちて骨折し、大小便をもらす。

それでも、いや、そんな大変な人だからこそ、ふたりは見捨てられずにいるのだ。ゆめは「ばばあは常に自分の『弱さ』を利用しているからたちが悪い」と思う。強い、弱いは相対的なもの。要介護の90歳の老女からすれば、健康で若く仕事もあるゆめは比較的強いというにすぎないのに。こうした「守られる弱者」への鬱憤は、今期芥川賞受賞作の高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』でも浮き彫りにされた。

次々と襲ってくる介護のトラブル、口ばかりの父親、それらを黙って耐えている母親……ゆめは母の言うべきことを代弁しようとして声を張る。その声はだれにも届かない、響かない。けれど、これが相手の心身を裂き、打ち倒すほどの凶器的な言動であれば、彼女は控えるだろう。相手の生活を転覆するような抜本的な闘いは挑まない。骨肉を斬る真剣をかまえる代わりに、彼女は激しいあくてえをつく。つきまくる。

父も祖母も切り捨てないのは、「血でも義理でも責任でもなかった」とゆめは思う。「傷を負った箇所の皮膚が時間をかけて再生していくように、もとの状態に戻ろうとする力が働いているだけなのだ」「崩れそうで崩れない生活であり、これが現実だった」と。そうして彼女はいつも「もとに戻ろうと」してきた。だから、怒鳴り散らしたあげく、祖母の目に「次の点眼薬」をさすのだ。

終盤でふたつの吉報が入る。それらはゆめたちに良い変化をもたらすだろうか。「自由は、かえってあたしをあの家に縛り付けるのだ」という言葉が重い。

レジリエンスの、残酷な物語だ。間違いなく作者の最高作だと思った。
あくてえ / 山下 紘加
あくてえ
  • 著者:山下 紘加
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(176ページ)
  • 発売日:2022-07-15
  • ISBN-10:4309030637
  • ISBN-13:978-4309030630
内容紹介:
あたしの本当の人生はこれから始まる。小説家志望のゆめは90歳の憎たらしいばばあと母親と3人暮らし。
ままならなさを悪態に変え奮い立つ、19歳のヘヴィな日常。第167回芥川賞候補作。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2022年8月20日

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