書評

『完訳 天球回転論』(みすず書房)

  • 2018/06/26
完訳 天球回転論 / ニコラウス・コペルニクス
完訳 天球回転論
  • 著者:ニコラウス・コペルニクス
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(728ページ)
  • 発売日:2017-10-19
  • ISBN:462208631X
内容紹介:
科学史第一級の古典全6巻を完訳。地動説の構想を初めて著した小論『コメンタリオルス』他、コペルニクス天文学のすべてを収録する。

「革命」の最重要典拠 公刊は歴史的事件

「天が動くのか・大地が動くのか」、文字通り天地がひっくり返るこの大転換を成し遂げた、と言われるコペルニクス。カントは自らの立場の新しさを表現するために、「コペルニクス的転換」と謳(うた)い、「コペルニクス革命」という表現も珍しくない。十六世紀半ば、この説が発表され、それを支持したガリレオが筆禍に遭い、科学と宗教の軋轢(あつれき)を論じる際の、代表的事例としても扱われてきた。そのような受け止め方の是非は措(お)くとして、そのコペルニクスの主著の翻訳は、これまでに、戦後間もなく科学史の先達矢島祐利の『天体の回転について』(岩波文庫)が唯一の存在であった。これは、原著全六巻の第一巻の訳であり、基本的には仏語からの重訳とも言えるもので、先鞭(せんべん)を付けた矢島氏の苦労は多とするも、全訳でないことに加えて、原典の選択、表題の付け方、あるいは内容上でも、今となっては幾つかの重大な難点を指摘せざるを得ない状態であって、新訳の発表が渇仰されていた。今回、訳者として望むべき最高の人物を得て、本書の公刊に至ったことは、歴史的な事件とも言うべきで、索引も入れれば七百ページを超える大部、価格も高額で、内容の専門性も高く、一般の読者に手軽にお勧めするべき書物ではないが、日本でも人口に膾炙(かいしゃ)した「コペルニクス革命」なるものの本質を知るために、立ち返るべき最重要な典拠が、正確、精密な形で私たちの財産になった事実は、少なくとも常識のなかに組み込まれてよいことだと信じる。逆に言えば、それほど今の常識のなかで、コペルニクスの業績は歪(ゆが)められてきたとも言えるだろう。

本書の構成は、原典(ラテン語)の批判的選択に始まり、面倒な計算も厭(いと)わずに、極めて綿密な訳者注を加えた第六巻までの訳文、さらにガリレオ事件の先駆となった、原著の「禁書目録」入りを示すと言われる、一六二〇年教皇庁図書検閲部局の発した「裁断文」の翻訳が第一部をなし、第二部では、この主著が一五四三年に発表される前に、コペルニクスの所説のメモのような形で当時の知識人の間に流布された「コメンタリオルス」という短い文書の注釈付き翻訳、さらに、同時代人でドイツの地理学者として知られていたヨハン・ヴェルナーの、天文現象に関する小論への反駁(はんばく)を目的に書かれたコペルニクスの(友人宛の)書簡の翻訳が第三部、そして訳者自身のこの問題に対する歴史的解釈と展望が語られた第四部で締め括(くく)られる。まことに至れり尽(つく)せりの組み立てというべきだろう。

私たちは、地動説が科学的に正しく、天動説は科学的に間違っている、と信じている。ここで触れておくが、「天動・地動」という言い方は、儒学者がこの問題を論じる時に使い始めたもので、ヨーロッパ語では、「地球中心説」(天動説)、「太陽中心説」(地動説)が普通である。要するに問題の核心は、宇宙の中心には地球があるのか、太陽があるのか、なのである(もっとも、こう問題を立てれば、地球、太陽以外の何かが中心にある可能性も否定はできないが)。話を戻そう。確かに、地球が太陽系の惑星の一つであって、自転しながら公転していることを証拠立てる科学的な根拠を、私たちは今幾つか持っている。しかしそれらの根拠となる事実が手に入ったのは、コペルニクスの時代より何世紀も後のことであって、コペルニクスが、今の「科学的」な立場で「太陽中心説」(と書くことにしよう)を提唱したわけではない。確かに、本書を読んでも、地球が動くことが常識に反する、と思われることへの反論として、船がゆっくりと動き始めたとき、自分が動いているのか、周りが動いているのか、判(わか)らない、といった今でいう「慣性系」の立論をしている箇所も眼(め)に入る。しかし、「科学的」根拠からではないとすれば、コペルニクスをして、多くの計算をやり直さなければならない煩雑さを犠牲にして、天体現象の相当部分を極めて正確に記述し得ていた、伝統的なプトレマイオス説(地球中心説)を何故(なぜ)捨て去るに至ったかについては、本書を精査しても、明確な答を見いだすことは難しい点は、訳者高橋氏も認めている。

しかし当然、この問いへの、あり得べき答えを高橋氏も慎重に検討する。評子自身は、当時の学問世界の流行であった新プラトン主義的な宇宙観、特にM・フィチーノの「光論」や「太陽論」に光を当てた解釈を試みてきたが、高橋氏は、第四部で、消去法に基づいて、そうした解釈の可能性は薄いと論じている。その点では、評子は高橋氏の批判を受ける立場にある。そして、スワードローという研究者の所説を媒介にして、非常におおざっぱに概括すれば、数学的計算にあって、より正確さを求めようとしたところに、コペルニクスの出発点があるのでは、と高橋氏は結論付けようとしているかに見える。

しかしそれは措こう。何しろ、今回の翻訳出版は日本の読書界にとって何度とない慶事なのである。(高橋憲一訳)
完訳 天球回転論 / ニコラウス・コペルニクス
完訳 天球回転論
  • 著者:ニコラウス・コペルニクス
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(728ページ)
  • 発売日:2017-10-19
  • ISBN:462208631X
内容紹介:
科学史第一級の古典全6巻を完訳。地動説の構想を初めて著した小論『コメンタリオルス』他、コペルニクス天文学のすべてを収録する。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2017年11月12日

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