書評

『裏面: ある幻想的な物語』(白水社)

  • 2018/06/15
裏面: ある幻想的な物語 / アルフレート クビーン
裏面: ある幻想的な物語
  • 著者:アルフレート クビーン
  • 翻訳:吉村 博次,土肥美夫
  • 出版社:白水社
  • 装丁:新書(382ページ)
  • 発売日:2015-03-07
  • ISBN-10:4560071985
  • ISBN-13:978-4560071984
内容紹介:
大富豪が中央アジアに建設した奇怪な〈夢の国〉、次々に街を襲う恐るべき災厄とグロテスクな終末の地獄図を描く幻想小説。

アルフレート・クビーン(Alfred Kubin 1877-1959)

ボヘミア生まれの画家・作家。青年時代はピストル自殺を図ったり精神病院に入ったこともあったが、ミュンヘンで絵を学んだのちは素描家として身を立てる。白黒の怪奇・幻想味の画風をもっぱらとし、ホフマン、ポオ、ドストエフスキーなどの挿絵も手がけている。『裏面 ある幻想的な物語』(1908)は、クビーン唯一の長編小説。自伝によれば、十二週間で書きあげ、四週間かけて挿絵を入れたという。

introduction

都市めぐりの最後に架空の街を取りあげよう。どこにもない街だが、同時にあらゆる街である。クビーンの本業は画家であり、ぼくもまずそちらの面からふれた。〈幻想と怪奇〉一九七三年十一月号の「FANTASTIC GALLERY」に、麻原雄氏の解説で彼の素描が紹介されていたのである。その後、『クービンの素描』(岩崎美術社)が出て、画業のおおよそを知ることができた。不気味で神経質なタッチは、挿絵ならともかく、単独で眺めるのはすこし身にこたえる。ところで、クビーンの画家仲間であったワシリー・カンディンスキーは、『裏面 ある幻想的な物語』を「デーモンの幻想」と評したそうだ。この作品に描かれたグロテスクなイメージをうまく伝えた言葉だが、じつはデーモンはぼくたち人間であり、幻想はだれの心にもひそんでいる暗い部分である。

▼ ▼ ▼

カウンセリングの一種に、箱庭療法というのがある。ミニチュアの世界をつくることで心の奥を表現し、それを自分の目で確認することで内的に統合されるようになる――ということらしい。どれほどの効果があるかは知らないけれど、この方法を逆転させて、実際の都市を心の投影として解釈できるんじゃないか。そんな考えが浮かんできた。

もちろん、都市というのは、箱庭とは決定的に異なっていて、地理・気候などの環境あるいは政治・経済的条件などの制約を受けながら、機能的に形成されるものだし、そもそも特定の作者によるものではない。しかし、そこに住むたくさんの人たちの、何世代にもわたる欲望や葛藤、夢想、抑圧されたものが、その街の細部に刷りこまれはしないか。そうした累積が街のかたちにまで作用しないだろうか。さまざまに矛盾する情動を抱えながら、あやういバランスで存在している都市。恐ろしいのは、人々の内面が街へと表出されると同時に、それがまた人々を囲いこんでいくということだ。箱庭ならば完成すれば終りであり、創造が内的な桎梏からの解放につながっていくのだろう。しかし、現実の街はそうではない。

いわば、ぼくらは自分たちがつくった箱庭のなかに住んでいる。フィリップ・K・ディックの小説にそんなのがありそうだ。心の内側がくるりと反転し、人を囲いこんでいる。

もし、都市が抱えこんだ精神のバランスが崩れたら?

『裏面 ある幻想的な物語』に描かれているのは、そうした都市の崩壊である。

その街はペルレ(真珠)と呼ばれ、サマルカンドから駱駝の引く車にのって二日の距離にある、「夢の国」の首都だ。この国は、巨万の富を得た冒険家クラウス・パテラによって企てられたひとつのユートピアであり、囲壁によって外部から隔離され、住民たちは気ままな――というより無軌道な――毎日をすごしている。なりゆきにまかせてあぶく銭をせしめたかと思うと、次の日はそれをあっさりと巻きあげられてしまう、そんな繰りかえし。つまるところ、「夢の国」では、貨幣も労働も見せかけにすぎないのだ。

作者クビーンの分身ともいえる素描画家“私”は、パテラのギムナジウム時代の同級生で、そのよしみで妻ともども「夢の国」に招待される。ペルレに到着したふたりは、すぐに住居を見つけ、また雑誌の仕事も舞いこみ、この国の住民としての暮らしをスタートさせる。

いくどか私は、「この家をぼくは前に見たことがある」と、誓って言うことができるような気がした。“私”の妻もまた、かなり多くのものに見覚えがあるような気がする、と言っていた。

主人公たちの感じた既視感は、こう説明される。つまりペルレの市街は、ヨーロッパ各地から移入された古い建物で構成されているのだ。建物ばかりではない、人々の衣装から、床屋の剃刀まで、この街で目にするものすべてが古く、ぼんやりとくすんでいる。

しかし古い事物と同時に、そこに憑いていた古い街の情念までが、ペルレに運びこまれたようだ。時代を経た建物が落とす印影が、古い家具や道具から立ちのぼる瘴気が、人々の精神をむしばんでいく。都市の機能性などもともと勘考されていない「夢の国」だけに、ひとたびバランスが崩れると加速度的に破滅がやってくる。

早朝の五時に、しっくいの入った桶と道具を持った左官屋が呼び鈴をならして、われわれの住居の窓をぬりつぶすようにという用命を受けてきたのだと、あくまで頑強に主張した。ありとあらゆる願い事を持った訪問客がやって来たし、見覚えのない品物が送り届けられて、そのままとりもどしに来ないようなこともあった。

街には得体の知れない、不吉なことばかりが起き、住民のあいだには不安がつのる。“私”の妻もおそろしい眼をした点灯夫に会い、その恐怖のせいで臥せってしまう。“私”はパテラに会って、国外へ出る許可をもらおうとするが、手つづきはどうどうめぐりするばかり。妻の病は悪化の一途をたどっていく。

ある日、“私”が宮殿の前を通ると、一般閲覧という掲示が出ている。疑念をいだきつつも、なかに入っていくが、まったく人の気配がない。しかし、行きどまりの部屋には、パテラがいた。これまでどうやっても会うことがかなわなかった「夢の国」の支配者が、目の前にいるのだ。“私”が妻を助けてくれと言い募ると、パテラは「助けてあげよう」と応じるが、そぶりが尋常ではない。パテラの顔貌はカメレオンのように次々と変わり、動物や鳥類、蛇のような表情をみせる。錯乱した“私”が家に逃げもどると、妻は発作をおこしており、まもなく死ぬ。

そんな矢先、アメリカの大富豪ベルがこの街にやってきて、反パテラのキャンペーンをはじめる。それが無秩序状態にいっそうの拍車をかけてしまう。さらに奇怪な眠り病が蔓延したかと思えば、虫や獣が街を這いまわるようになり、物はひとりでに腐ったり錆びたりしはじめる。主人公の隣人たちは夢想と妄執に取りつかれ、次々と非業の死をとげていく。やがてペルレが炎上をはじめると、建物は生き物じみた挙動をみせ、そればかりか、よく聞こえる声で奇妙な言葉を話しはじめる。そして住人たちを道連れにしながら、崩れ落ちていく。街そのものが、一個の意志を、そして狂気を宿していたのである。

あるいは、ペルレのように激しくはないにしても、あらゆる都市には自らを崩壊させようという衝動が潜んでいるのではないだろうか。どうしようもなく抱えこんでしまった、人々の憂悶から解放されるために。

【この書評が収録されている書籍】
世界文学ワンダーランド / 牧 眞司
世界文学ワンダーランド
  • 著者:牧 眞司
  • 出版社:本の雑誌社
  • 装丁:単行本(397ページ)
  • 発売日:2007-03-01
  • ISBN-10:4860110668
  • ISBN-13:978-4860110666
内容紹介:
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裏面: ある幻想的な物語 / アルフレート クビーン
裏面: ある幻想的な物語
  • 著者:アルフレート クビーン
  • 翻訳:吉村 博次,土肥美夫
  • 出版社:白水社
  • 装丁:新書(382ページ)
  • 発売日:2015-03-07
  • ISBN-10:4560071985
  • ISBN-13:978-4560071984
内容紹介:
大富豪が中央アジアに建設した奇怪な〈夢の国〉、次々に街を襲う恐るべき災厄とグロテスクな終末の地獄図を描く幻想小説。

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