書評
『サスペンス映画史』(みすず書房)
根源的メカニズムの解明に挑む
映画研究における新星の登場である。まだ30代の著者は、サスペンス映画の歴史をたどると同時に、映画史そのものをサスペンスの観点から書きなおそうと試みている(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2012年7月)。あつかう素材は主にハリウッド映画だが、サスペンスを原動力とする映画の根源的なメカニズムの解明という目標が掲げられ、この壮大な野心には十分満足のいく達成があたえられている。今後、サスペンス映画を論じる際に必須の書物となるだろう。著者によれば、映画とは元来、不自由の体験である。一度座った席から立つこともできず、機械が映しだす画面を黙って最後まで見ているほかない。その絶対的な受動性が映画体験の魅惑を保証しているのだ。スクリーンで初めて列車が迫ってくるのを見た観客は恐慌を来したというし、「映画の父」グリフィスが撮った処女作『ドリーの冒険』は誘拐された少女が樽(たる)に詰めこまれて流される話だった。絶体絶命の危機にむかうサスペンス(宙吊(ちゅうづ)り)の感覚に、なぜ人はかくも魅了されるのか?
そこには時間の二重性という映画の本質が表れるからだと著者はいう。映画はすでに起こった出来事を記録し、上映時間も定まっている。つまり、すでに死んだ時間である。だが、映画を見る観客はイメージの運動と時間に同調し、今を生きている。すでに運命として確定した未来に向かって、現在進行形の時間を生きるという二重性。映画とは、過去と現在、運命と自由、死と生の二重性を体験することであり、その矛盾から真のサスペンスが生じるのだ。
こうした時間論を根底に置きつつ、著者は軽やかに映画史を縦断する。チャップリン、ラング、ウェルズなど著名な監督の作品がサスペンスの視点から説得力豊かに分析され、ついにヒッチコックに到達する。映画で爆弾が爆発すれば、それはサプライズ(驚き)だ。だが、観客に爆弾の存在を教えておけば、それはサスペンスになる。この有名な「主観的サスペンス」の定義から出発して、ヒッチコックの世界が見事に解明される。
ヒッチ以降、サスペンス映画がどう変わったかも概観され、簡にして要を得た展望を得られる。
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