書評

『もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」』(講談社)

  • 2018/07/16
もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」 / R.ダグラス・フィールズ
もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」
  • 著者:R.ダグラス・フィールズ
  • 翻訳:小松 佳代子
  • 監修:小西 史朗
  • 出版社:講談社
  • 装丁:新書(538ページ)
  • 発売日:2018-04-18
  • ISBN-10:4065020549
  • ISBN-13:978-4065020548
内容紹介:
ニューロンを支える接合組織にすぎないと見なされてきたグリア細胞だが、実は神経系に深く関与して、精神活動に関与していた!

脳内情報処理を総合的に考える時

話はアインシュタインの脳から始まる。相対性理論はよく分からないのに、独特の魅力がある。一九五五年、アインシュタインの遺体を解剖した病理学者は、その脳を残したい衝動を抑えられず保存液に漬けた。その三〇年後、神経解剖学者が、大脳皮質の前頭前野と下頭頂野の切片を調べた。前者は抽象化、計画立案に関わり、後者は損傷すると数学的思考が困難になることが知られている。あの理論を考え出した脳ならどこかに何か特徴があるはずだ。

ところが、ニューロンの数、大きさ、見かけなどのいずれも対照群と何ひとつ違わなかった。ただ、グリア細胞と呼ばれるニューロンではない細胞だけが、アインシュタインの脳には他の人の倍近く存在したのである。

グリアは日本語では膠(こう)細胞。神経細胞の接着剤とされ、その機能には関心が持たれてこなかった。しかし、今回のデータを見るとそれではすみそうもない。それもあってか近年グリア細胞の研究が進み、思いがけず多様で重要な機能が明らかになってきている。著者はその中心的役割をしている神経科学者である。グリアには、まず脳・脊髄(せきずい)全域にあるアストロサイトとミクログリアの二種がある。更にニューロンの軸索の周囲に電気的絶縁体(ミエリン)を形成するオリゴデンドロサイトとシュワン細胞があり、前者は脳・脊髄で、後者は末梢(まっしょう)神経ではたらき、軸索での情報伝達の速度を一〇〇倍(時速三〇〇キロほど)にする。実は、グリアについてはこれ以外の機能はほとんど示されてこなかった。

本書では、ニューロンに絞って研究されてきた思考と記憶という機能へのグリアの関わりを述べ、脳腫瘍、神経疾病、痛み、老化など健康と病気をグリアを通して見ていく。脳細胞の八〇%以上を占めるグリアがニューロンを制御している場面が次々登場し「ニューロン中心主義」でなく、ニューロンとグリアの関わりを見る必要があることは確かと思わせる。

一例をあげよう。ラットの脳の記憶に不可欠な海馬切片のアストロサイト上に電極を配置して、わずかな電圧で刺激した瞬間、神経回路内のシナプスが電位変化を起こした。またアストロサイトの遺伝子が海馬の長期記憶増強を損なったり促進したりすること、アストロサイトへのカルシウム流入が神経伝達物質であるグルタミン酸を放出させ、ニューロンを刺激することもわかった。アストロサイトが周囲のシナプスを抑制して記憶中枢への特定の入力を際立たせ、集中調整をしているのである。

脳の形成時に、マスターグリアと呼ばれる細胞がニューロンを脳内の適切な位置に誘導することは知られていた。近年このグリアのもつニューロン生成能も明らかになった。成熟マウスの前脳で残留していたマスターグリアがニューロンに転換し嗅部と海馬に組み込まれる様子も捉えられた。病気や障害での損傷に備えているに違いない。

ほんとうの脳を知るには著者のいう「もうひとつの脳」、つまりグリア細胞の研究が不可欠であることが見えてきた。ニューロンのインパルスが数ミリ秒で動くのに対し、カルシウムによるグリアの反応は数秒、時に数分の単位で起きる。ストーブに触れた熱さや痛みへのすばやい反射機能はニューロンまかせだが慢性疼痛(とうつう)にはグリアが関わる。ゆっくり発現する認知機能の調節もグリアの担当だろう。脳内情報処理を点と点をつなぐニューロンのシナプス結合からだけでなく総合的に考える時が来ているという指摘に耳を傾けたい。
もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」 / R.ダグラス・フィールズ
もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」
  • 著者:R.ダグラス・フィールズ
  • 翻訳:小松 佳代子
  • 監修:小西 史朗
  • 出版社:講談社
  • 装丁:新書(538ページ)
  • 発売日:2018-04-18
  • ISBN-10:4065020549
  • ISBN-13:978-4065020548
内容紹介:
ニューロンを支える接合組織にすぎないと見なされてきたグリア細胞だが、実は神経系に深く関与して、精神活動に関与していた!

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2018年7月8日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
中村 桂子の書評/解説/選評
ページトップへ