書評
『午後の曳航』(新潮社)
三島氏自身が好んで使う言葉を利用させてもらえば、この小説は、「夢想というものの重いイローニッシュな響き」に全篇みちみちた小説である。
戦後、古典主義を標榜して出発した氏が、『金閣寺』によって自己の思想的完成をとげて以来、徐々にロマン派的心情への坂道をずり落ちて行った過程は、注目に値する。これは戦中への単純な回帰ではなく、すでに小説的形式への配慮よりも、氏にとっては、信仰告白の方が大事になったということである。
描写をはぶき、物語的構成を犠牲にし、大好きな比喩を節約して、氏は議論の多い小説、イデオロジックな小説を書くようになった。それは一般に、批評家と大衆にそっぽを向かれるような種類の小説だったが、そんなことは氏にとってはどうでもよかった。もっとも、それが、「政治と文学」論争の場にまで引っぱり出されては、大きに迷惑だろう。
わたしは、『美しい星』も『午後の曳航』も、一種のユートピア小説だと納得している。前者においては「宇宙」、後者においては「海」が、行為と認識の完全に一致する奇蹟の領域である。しかし、そんな領域は現実にはあり得ないから、このユートピア小説は必然に絶望小説たらざるを得ない。「考えれば考えるほど、彼が光栄を獲るためには、世界のひっくりかえることが必要だった。世界の顛倒か、光栄か、二つに一つなのだ。」
死のユートピアから吹いてくる甘い風に酔うことを知らないロマン主義者とは、いったい、どんなロマン主義者であろうか。したり顔のトーマス・マン先生なら言うだろう、「それは淫蕩の思想です」と。
事実、『午後の曳航』は淫蕩な思想の小説である。父と子、母と子、また、母とその恋人との情事を覗き見する少年、といった図式的な設定は、淫蕩な思想の枠組としてまことに好都合にできている。壁の孔は、「この世のものならぬ光輝への小さな一点の通路」であって、覗き見する少年は、宗教的エクスタシイにも似た悦惚とともに、「世界の内的関連の光輝ある証拠」をそこから見る。
しかし、やがて壁の孔はふさがれる。少年の目から、現実変革の小さな希望が絶たれる。と、それまでギリシア悲劇のコロスのような役割を果していた少年たちの一団は、ふしぎな非人格的な神(あるいは芸術家)のような存在になり、自分のためにも、また父のためにも、醜い父的な存在を殺してやるのである。夢想のなかで、つねに「栄光と死と女の三位一体」を見ていた男、つまり現在の「父」は、こうして絶対的他者ならぬ「子」によって復讐される。淫蕩な馴れ合い。殺される父にも、殺す少年にも、ひとしく作者の孤独が反映している。
蛇足をつけ加えれば、この小説は傑作である。
【この書評が収録されている書籍】
戦後、古典主義を標榜して出発した氏が、『金閣寺』によって自己の思想的完成をとげて以来、徐々にロマン派的心情への坂道をずり落ちて行った過程は、注目に値する。これは戦中への単純な回帰ではなく、すでに小説的形式への配慮よりも、氏にとっては、信仰告白の方が大事になったということである。
描写をはぶき、物語的構成を犠牲にし、大好きな比喩を節約して、氏は議論の多い小説、イデオロジックな小説を書くようになった。それは一般に、批評家と大衆にそっぽを向かれるような種類の小説だったが、そんなことは氏にとってはどうでもよかった。もっとも、それが、「政治と文学」論争の場にまで引っぱり出されては、大きに迷惑だろう。
わたしは、『美しい星』も『午後の曳航』も、一種のユートピア小説だと納得している。前者においては「宇宙」、後者においては「海」が、行為と認識の完全に一致する奇蹟の領域である。しかし、そんな領域は現実にはあり得ないから、このユートピア小説は必然に絶望小説たらざるを得ない。「考えれば考えるほど、彼が光栄を獲るためには、世界のひっくりかえることが必要だった。世界の顛倒か、光栄か、二つに一つなのだ。」
死のユートピアから吹いてくる甘い風に酔うことを知らないロマン主義者とは、いったい、どんなロマン主義者であろうか。したり顔のトーマス・マン先生なら言うだろう、「それは淫蕩の思想です」と。
事実、『午後の曳航』は淫蕩な思想の小説である。父と子、母と子、また、母とその恋人との情事を覗き見する少年、といった図式的な設定は、淫蕩な思想の枠組としてまことに好都合にできている。壁の孔は、「この世のものならぬ光輝への小さな一点の通路」であって、覗き見する少年は、宗教的エクスタシイにも似た悦惚とともに、「世界の内的関連の光輝ある証拠」をそこから見る。
しかし、やがて壁の孔はふさがれる。少年の目から、現実変革の小さな希望が絶たれる。と、それまでギリシア悲劇のコロスのような役割を果していた少年たちの一団は、ふしぎな非人格的な神(あるいは芸術家)のような存在になり、自分のためにも、また父のためにも、醜い父的な存在を殺してやるのである。夢想のなかで、つねに「栄光と死と女の三位一体」を見ていた男、つまり現在の「父」は、こうして絶対的他者ならぬ「子」によって復讐される。淫蕩な馴れ合い。殺される父にも、殺す少年にも、ひとしく作者の孤独が反映している。
蛇足をつけ加えれば、この小説は傑作である。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする