コラム

『日本の食文化 1: 食事と作法』(吉川弘文館)

  • 2019/01/18
日本の食文化 1: 食事と作法 /
日本の食文化 1: 食事と作法
  • 編集:小川 直之
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(258ページ)
  • 発売日:2018-12-14
  • ISBN:4642068368
内容紹介:
日本人は、何を、何のために、どのように食べてきたか?
食材、調理法、食事の作法や歳事・儀礼など多彩な視点から、これまでの、そしてこれからの日本の〝食〟を考える新シリーズが刊行開始!

食事には作法と決まり事がある。人と人をつなぐ共食や贈答、神仏への供え物、調理の技法と担い手、食具の扱いなど、儀礼と日常の食の社会的な意味を読み解く。ファーストフードや「和食」の国際的な動向にも着目する第1巻。

キナ粉の力

山形県鶴岡市下平形(しもひらかた)の熊木作蔵さん(明治四十五年生まれ)は次のように語っていた。水田稲作は男が取り仕切り、畑作は女が取り仕切ってきた――。女性が畑作と深くかかわったのは、家族の人数に見合うだけの味噌・醤油・納豆・煮豆を作るのに必要な大豆や小麦の量と、栽培面積を算出し、野菜類のことも頭に置かなければならなかったからである。同家では、味噌=大豆一俵、醤油=大豆二斗と小麦二斗が畑作の主なものだった。米と大豆は常にセットとして意識されてきたのである。

東北地方では一月十五日の小正月を中心に、庭田植・雪田植・作試し・サツキなどと呼ばれる雪上の模擬田植の儀礼が盛んに行われてきた。秋の稔りの豊かならんことを祈る予祝行事である。田畑に見たてた雪の上に稲藁と大豆ガラを挿し立てる形が圧倒的に多い。米(稲)と大豆は長い間日本人の食の構造の中心にあった。大豆にかかわる民俗もじつに多彩である。味噌・醤油や豆腐の製造慣行から節分の豆、豆名月の豆、大黒様の年とりと黒豆、豆と実息災(まめそくさい)とを掛けた呪的民俗などがあるが、ここでは大豆を炒って粉化した「キナ粉」にかかわる民俗をとりあげる。

田植や稲作儀礼にかかわってキナ粉が用いられる例がある。

①秋田県大仙市横堀――田植作業期間のコビル(間食)にキナ粉をまぶした握り飯をイタドリの葉に包んで作業をしている人びとに配った(長沢精一さん・昭和三年生まれ)。
②山形県最上郡真室川町高坂――田植始めの日には、朴(ほお)の葉に飯とキナ粉と黒砂糖を盛って、「田の神様にキナ粉をあげる」と称して田の水口に供えた。これを「ホノハママ」と呼んだ。ホノハママは田植にかかわる者も食べた(井上春松さん・昭和三年生まれ)。
③三重県伊賀市諏訪――サナブリ(田植終了)の日に大束の苗の上に茗荷(みょうが)三本とキナ粉をまぶした握り飯三個をのせて竈荒神(かまどこうじん)に供えた(堀正勝さん・明治四十二年生まれ)。
④奈良市長谷町――サビラキ(田植始め)の日に、ウルチ米と大豆を混ぜて焙烙(ほうろく)で炒り、十二枚の蕗(ふき)の葉のおのおのに盛って植え始めの田の水口に供えた。炒った米と大豆を石臼で碾(ひ)き、その粉を苗の先にかけると稲の花がたくさん咲くと伝えられている(永岡正次さん・大正二年生まれ)。
⑤長崎県佐世保市宇久町十川(うくまちとおかわ)――サナブリには子供たちがおのおのキナコをまぶした握り飯を持って島内(宇久島)の聖地めぐりをした(坪井要さん・昭和三年生まれ)。

田植始めや田植の終わりに、日本の広域にわたってキナ粉やキナ粉の握り飯を神に供え、人びとも食べてきたことがわかる。キナ粉はまず、稲の花の象徴である。さらには、豊作の稲穂の象徴でもあった。

田植の儀礼食や田の神への神饌にはキナ粉のほかに「米と大豆」の組み合わせも多い。山形県西置賜郡小国町樋倉(ひくら)ではサナブリの日に朴の葉にモチ米の繭玉(まゆだま)と炒った大豆を包んで田植にかかわった人びとに配った。これを「俵」と呼んだ。三重県伊賀市治田(はつた)ではサビラキの日に大豆を混ぜて炊いて飯を蕗の葉に包み、「蕗俵」(富貴俵)と称し、水口に供え、参加者も食べた。

奈良県には、正月の雑煮の餅にキナ粉をまぶして食べる習慣がある。他地の人の奇妙だという感想を耳にしたこともあったが、奈良市鍋屋町で生まれ育った秀田至規さん(昭和二十六年生まれ)は以下のように語る。正月三箇日の雑煮は白味噌あじで、具は大根・人参・里芋、椀には径八センチの丸餅が一人二個ずつ入っている。横に砂糖あじのキナ粉を盛った皿が添えられる。雑煮を食べる時に、餅を箸で挟み、キナ粉をまぶして口に運ぶのである。母の実家は奈良県磯城郡田原本町だが、ここの雑煮も同様である。ここにも米と大豆の組み合わせがあり、キナ粉は、稲の花・稲の穂波を象徴する。雑煮が秋の稔りの豊穣予祝を兼ねているのである。静岡名物の安倍川餅(あべかわもち)は、徳川家康の安倍金山視察と結びつけて、金な粉=キナ粉として語られている。渡河の力餅でもあるのだが、これも発生的には農の餅であった。

大豆やキナ粉への執着や嗜好は平地稲作農民や都市民のみのものではなかった。昭和二十年代まで焼畑を営んでいた山深いムラムラでは、焼畑輪作の二年目または三年目に大豆・小豆を栽培した。豆類の根瘤菌(こんりゅうきん)によって地力を回復させることができるからである。奈良県五條市大塔町惣谷ではコナラの実のことをマボソと呼び、水さらしでタンニンを除去してから粉化し、これにキナ粉を混ぜて食べた(戸毛幸作さん・昭和五年生まれ)。長野県飯田市南信濃池口ではコナラの実とアラカシの実を干して皮を剥き、水さらしでアクヌキをし、粉化して団子にした。これにキナ粉をまぶして食べた(松下唯繁さん・明治二十九年生まれ)。アクヌキして軟かくなったナラ類の実にキナ粉をかけて食べるという方法は長野県下水内(しもみのち)郡栄村(さかえむら)、同松本市奈川入山、岩手県下閉伊(しもへい)郡、同岩手郡などでも聞いた。ナラ類・カシ類の実とキナ粉の相性がよいことがわかる。堅果類の採集は縄文時代以来の営みである。その堅果類とキナ粉の結合食が、山地において褻(け)の食物として手のとどく過去まで食べられていたのである。キナ粉は、右に示した堅果類を味覚的にも、栄養的にも支えたのだった。

忘れがたいキナ粉の体験がある。狩猟にかかわる民俗を学ぶために宮崎県東臼杵(ひがしうすき)郡椎葉村寺床(しいばそんてらどこ)の尾前善則さん(昭和四年生まれ)を訪ねたのは平成十五年三月二十九日午後一時過ぎのことだった。尾前家では玄関を入ったところの土間にテーブルと椅子が置かれていた。招じ入れられ、腰をおろして狩猟談義に入った。しばらくすると、台所の方で、ゆったりとした石臼の音が響き始めた。このお宅では今でも石臼を使ってソバを碾いているのだろうという思いが瞬時に頭をよぎったのだが、すぐに善則さんの語りにひきこまれた。

やがて奥さんが皿に盛った焼餅と、キナ粉を盛った別な皿を出してくれた。キナ粉の香ばしい匂いが鼻腔を刺激した。ああ、あの石臼の音はこのキナ粉を碾く音だったのだと気づいた。勧められるままに餅にキナ粉をまぶして口に運んだ。餅のやわらかさと、キナ粉のやや荒々とした舌ざわり、そして、何よりも、キナ粉の噎(む)せるような芳香が身に沁みた。訪れびとの顔を見てから大豆を炒り、それを石臼で碾く。碾きたてのキナ粉で客をもてなす。ここには、人を迎え、もてなす民俗が生きていると思った。

味・栄養はもとより、香り立つキナ粉は、人に対するすぐれたもてなし物である。さればこそ、田の神・山の神・荒神などの神々をひきつけると信じられたのである。香りもまた神が依りつく依り代となるのである。

このほど吉川弘文館から「日本の食文化」シリーズ全六巻が刊行されるという。巻構成や章立ての骨格は、日本の伝統的な食の民俗の力を新しい視点で再発見しようとするものである。レトルト食品や外食の日常化が進み、多量の廃棄食品や個食が問題とされる現今なればこそ、この企画は日本の食の未来に対して多くの示唆と指針を与えてくれるにちがいない。気鋭の執筆陣による新資料の提示や斬新な分析が楽しみである。

[書き手] 野本 寛一(近畿大学名誉教授・日本民俗学)
日本の食文化 1: 食事と作法 /
日本の食文化 1: 食事と作法
  • 編集:小川 直之
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(258ページ)
  • 発売日:2018-12-14
  • ISBN:4642068368
内容紹介:
日本人は、何を、何のために、どのように食べてきたか?
食材、調理法、食事の作法や歳事・儀礼など多彩な視点から、これまでの、そしてこれからの日本の〝食〟を考える新シリーズが刊行開始!

食事には作法と決まり事がある。人と人をつなぐ共食や贈答、神仏への供え物、調理の技法と担い手、食具の扱いなど、儀礼と日常の食の社会的な意味を読み解く。ファーストフードや「和食」の国際的な動向にも着目する第1巻。

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