書評
『熊谷突撃商店』(文藝春秋)
すてきな人生
『熊谷突撃商店』(ねじめ正一著、文藝春秋)の主人公は、熊谷清子さんである。女優熊谷真美・美由紀のおかあさんで、作品中では「キヨ子」の名前で呼ばれている。ねじめ正一さんは、熊谷清子さんに取材をしながらこの小説を書いた。「キヨ子」は第二次大戦中、中国奉天で情報将校であった父と母との間に生まれ、昭和十六年に父を大陸に残して家族で帰国する。やがて、紡績工場に勤めていた「キヨ子」は文通で知り合った「熊谷俊男」と騙されるように(?)して結婚上京、「熊谷商店」を始める。女ぐせの悪い夫、その前妻の子、やがて生まれてくる二人の女の子との波瀾万丈の生活。最後は、末娘と激烈な恋愛を経て結びついた俳優「杉田優平」の闘病と死を静かに見守りながら作品は終わる。あとがきで、ねじめ正一さんは、熊谷清子さんがいつの間にか小説と同じ「キヨ子」と自分を表記するようになったこと、そしてそのあとがきを書いている日の一週間前にホスピスで亡くなったことを付け加える。そのあとがきは、作品に不可欠のエピローグになったのだ。
この小説には、忘れ難いシーンがたくさんある。たくさんの人たちが次々出てきて、愚かしいことをやったり、悩んだり騒いだりする。同じような小説を読んでも、退屈したりすることが多いのに、『熊谷突撃商店』を読んで、ここに出てくる人たちみんながいとおしくなってしまうのは、この作品がうまくいっているからだろう。月並みな言い方だが、作者の愛情がひしひしと伝わってくる。だから、ぼくの感想は「ねじめさん。いい小説をありがとう」で十分なはずなのだが、ぼくは読み終わった後、なんだかそれだけでは言い足りないような気がしたのだった。
ねじめさんは、先鋭的な現代詩人でもある。では彼の「現代詩人」の部分と「真情溢るる小説家」の部分はどう重なっているのだろうか。そんなことを考えていた時、ぼくは、たぶんねじめさんも好きで尊敬もしていただろう北村太郎という詩人のことを思い出した。
北村太郎さんは一九二二年に生まれ一九九二年の終わり頃、白血病で亡くなった。作品はそれほど多くないが、現代詩人たちにもっとも尊敬された詩人でもあったと思う。その秘密は彼の詩そのものの中にあった。
最晩年、北村太郎さんは「すてきな人生」という詩を書いた。
「みんな、のんきな顔をしているけれど/カラオケでうたったり、ウインクなんかしていたりするけれど/いずれ地球は、ひびだらけになり/ヒトは消えてしまうのを、とっくに心得ているのだ/滅びない星なんて、ないことを」
ではじまり、
「モノをほしがる物欲、のほかに/ココロを欲しがる心欲、まで持っているから/ヒトは怪物、なのだ」
と続くこの詩は、
「物欲、心欲はなくなるはずがなく/ヒトの、ぼくたちの怪物性は/いよいよ彩りゆたかになり、矛盾の垣根の/無限につづく道ばたで、あいそよく頭を下げあう/そして、みんななんでも知っていて/たいそう有り難く、静かに息を吐きつづけるのだ」
と終わる。
人はどんなに優れた観念を持っていようと、現実に他人と交わる時には、最低のメロドラマの世界を生きるしかない。しかし、それは人間にとって絶望ではなく、希望ではないのか。この優れた詩人はそのことを忘れたことはなかった。そして、彼はそれを「すてきな人生」と呼んだ。ぼくは、ねじめさんの小説を読んで、そのことを思い出したのだ。
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