書評
『パリ、戦時下の風景』(西田書店)
五年前のある日、隠退した商社マンである著者は急逝した兄の書斎から意外なものを発見した。それは、第二次世界大戦中に自分が勤務先のパリから日本の家族に書き送っていた百通を越える手紙の束だった。その束を手にしたとき、著者の心に、大倉商事のパリ駐在員としてすごした青春の日々が蘇ってきた。戦前のパリの明るい夏の光、ドイツ占領下のパリの陰鬱な冬の空などが「パリで苦楽をともにし、いまはこの世にいない人たちの面影」とともに「なつかしく哀しく」心に浮かんできた。おぼろに霞んでいた人々は、「表情と目付きと声とをもって」生き返り、著者にペンを取ることを決意させた。そして、それは同時に大戦下の日仏関係史の欠落を埋める貴重な証言となったのである。
東京外語のフランス語科を出て大倉商事に入社した著者は、一九三七年、パリ支店に赴任する。ファシズムの脅威でヨーロッパは暗雲に包まれていたが、パリは人民戦線内閣の労働者優遇政策のせいか、のどかで幸福な雰囲気に満ちていた。
だが、一見平和に見えるパリにも、戦争の影は忍び寄ってくる。禁輸品目の図面と機関銃を日本に運び出そうとしていた秘密工作がフランス警察に見破られ、大倉商事の支店長が逮捕されるという事件が起きたのである。著者は、善後策を講ずる一方、機密書類を抱えてヨーロッパ中を奔走する。この部分は立派にスパイ小説となる素材である。
やがてドイツ軍はポーランドに侵攻、第二次大戦が勃発するが、難攻不落のマジノ線を信じていたパリジャンたちは、戦時下にもかかわらず、街にあふれ、生活を楽しんでいる。
だがドイツ軍の占領はフランス贔屓の在留邦人には予想外に強いショックを及ぼし、フランス人と結婚して家族もある支店長をはじめとして日本人社員の全員が邦人引き揚げ船に乗って帰国していく。日本人による従来の証言は、この時点で終わっているものが多いので、占領下のパリの様子やエピソードを語った本書の後半は、興味津々たるものがある。
なかでも、日々の暮らしの中で接触した人々との個人的な思い出をつづった箇所は、著者の誠実さがにじみ出ていて、それぞれが短編小説のような味わいをもっている。たとえば、戦火のベルリンで支店長の娘マニーと出会いながら生き別れ、終戦直後の東京で再会するくだりは良質のメロドラマを思わせるし、ドイツ軍に徴用されそうになるところをあやうく助けてやったなじみの靴屋の家族と戦後に再会する話は感動的である。
いっぽう、フランスに視察にやってくる日本のお偉方や軍人たちが尊大な態度を見せると、著者は硬骨漢ぶりを発揮して直言をいとわない。一例をあげれば、慈善事業の視察と称しながらどこへいってもガスの消費量やベッド数しかたずねない東京市の理事に対しては、慈善事業というのは心の問題なのだからむしろ関係者の苦心談こそをたずねるべきではないかと苦言を呈し、また、クルゾーの製鉄工場に陸軍の軍人を案内したときには、フランスを敗戦国と見なして、工場長への挨拶を拒否した中佐に向かって、昔から陸軍が世話になっている企業に対して恩義を忘れるとはなにごとかと声を荒立てる。その反対に、パリを訪れた山下奉文中将を案内したときには、陸軍にもこんな軍人らしい軍人がいたのかと驚く。
もちろん、独軍占領下という特殊な状況における商社活動も詳細に語られている。とりわけ、東京市の債権利子未払いを、日本からフランスに食糧を輸入する形で解決しようと思いついて成功寸前までこぎつけたエピソードは、今の商社マンが読んだら驚くだろう。
だが全編を通して胸を打つのは、早川雪洲のような有名人からキャバレーのタバコ売りの女に至るまで、戦時下に一期一会を持った様々な人々を五十年の歳月を隔てて回想するときに蘇る哀惜の念である。著者は戦後のパリにはほとんど興味を失ったと書いているが、たしかに戦前まで続いたベル・エポックのパリは、そうした懐かしい人々の記憶とともに、姿を消してしまったのかもしれない。
【この書評が収録されている書籍】
東京外語のフランス語科を出て大倉商事に入社した著者は、一九三七年、パリ支店に赴任する。ファシズムの脅威でヨーロッパは暗雲に包まれていたが、パリは人民戦線内閣の労働者優遇政策のせいか、のどかで幸福な雰囲気に満ちていた。
混迷のなかに暮らしていると、その混迷に飽きて、せつせつと目の前のあかるいもの、美しいもの、楽しいものへと、心もからだも自然に動いている。樹木の枝の一つ一つが太陽の光を求めて隙間(すきま)を探して伸びるのに似ている。つまりパリでは誰もが精いっぱい平和を味わっているようにみえる。
だが、一見平和に見えるパリにも、戦争の影は忍び寄ってくる。禁輸品目の図面と機関銃を日本に運び出そうとしていた秘密工作がフランス警察に見破られ、大倉商事の支店長が逮捕されるという事件が起きたのである。著者は、善後策を講ずる一方、機密書類を抱えてヨーロッパ中を奔走する。この部分は立派にスパイ小説となる素材である。
やがてドイツ軍はポーランドに侵攻、第二次大戦が勃発するが、難攻不落のマジノ線を信じていたパリジャンたちは、戦時下にもかかわらず、街にあふれ、生活を楽しんでいる。
パリは空襲があろうが、敵軍が五〇キロに迫っていようが、不思議なくらい平静で平和で、マドレーヌからオペラにかけての大通りは、プラタナスの大樹の並木が美しい木陰をつくっていて、いまパリの素晴らしさは譬(たと)えようがない。街のカフェのテラスはいつものように席がないほど人が混んでいる。
だがドイツ軍の占領はフランス贔屓の在留邦人には予想外に強いショックを及ぼし、フランス人と結婚して家族もある支店長をはじめとして日本人社員の全員が邦人引き揚げ船に乗って帰国していく。日本人による従来の証言は、この時点で終わっているものが多いので、占領下のパリの様子やエピソードを語った本書の後半は、興味津々たるものがある。
なかでも、日々の暮らしの中で接触した人々との個人的な思い出をつづった箇所は、著者の誠実さがにじみ出ていて、それぞれが短編小説のような味わいをもっている。たとえば、戦火のベルリンで支店長の娘マニーと出会いながら生き別れ、終戦直後の東京で再会するくだりは良質のメロドラマを思わせるし、ドイツ軍に徴用されそうになるところをあやうく助けてやったなじみの靴屋の家族と戦後に再会する話は感動的である。
いっぽう、フランスに視察にやってくる日本のお偉方や軍人たちが尊大な態度を見せると、著者は硬骨漢ぶりを発揮して直言をいとわない。一例をあげれば、慈善事業の視察と称しながらどこへいってもガスの消費量やベッド数しかたずねない東京市の理事に対しては、慈善事業というのは心の問題なのだからむしろ関係者の苦心談こそをたずねるべきではないかと苦言を呈し、また、クルゾーの製鉄工場に陸軍の軍人を案内したときには、フランスを敗戦国と見なして、工場長への挨拶を拒否した中佐に向かって、昔から陸軍が世話になっている企業に対して恩義を忘れるとはなにごとかと声を荒立てる。その反対に、パリを訪れた山下奉文中将を案内したときには、陸軍にもこんな軍人らしい軍人がいたのかと驚く。
もちろん、独軍占領下という特殊な状況における商社活動も詳細に語られている。とりわけ、東京市の債権利子未払いを、日本からフランスに食糧を輸入する形で解決しようと思いついて成功寸前までこぎつけたエピソードは、今の商社マンが読んだら驚くだろう。
だが全編を通して胸を打つのは、早川雪洲のような有名人からキャバレーのタバコ売りの女に至るまで、戦時下に一期一会を持った様々な人々を五十年の歳月を隔てて回想するときに蘇る哀惜の念である。著者は戦後のパリにはほとんど興味を失ったと書いているが、たしかに戦前まで続いたベル・エポックのパリは、そうした懐かしい人々の記憶とともに、姿を消してしまったのかもしれない。
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