書評
『ルイ十五世―ブルボン王朝の衰亡』(中央公論社)
ビジネスマン向けの歴史雑誌などでしばしば戦国の武将たちが取り上げられ、彼らの生き方に何を学ぶかが論じられている。しかし乱世の英雄というものは凡人がまねしようとしてもまねできるようなものではない。危機管理ということなら、むしろ、打倒されてしまった旧体制の無能な人間の方が役に立つ。なぜなら彼らがどのように無能だったかを研究し、他山の石とすることは、凡人にとっても決して不可能なことではないからである。
この点、絶対王政を築いた太陽王ルイ十四世の跡を受けながら、王朝崩壊の原因を作ったルイ十五世ほど格好の研究対象はあるまい。
著者のグーチによれば、ルイ十五世の最大の不幸は「彼が超人でなかったこと」にある。というのも、ルイ十四世が作り上げた絶対王政は彼自身のような半神的な支配者を必要とする体制だったにもかかわらず、その体制を継承したルイ十五世は意志、責任感に欠けた怠惰で凡庸な君主でしかなかったからである。
ブルボン王朝崩壊のもう一つの原因はルイ十四世の長すぎた治世そのものにあった。すなわち、太陽王の犯した最大の誤りは「あまりにも長く生きすぎた」ことである。おかげで息子も孫も先に没してしまい、彼が崩御したとき跡を継いだのは五歳の曾孫(ひまご)だった。しかも摂政オルレアン公は名うての快楽主義者だったから少年王は家庭教師の司教フルーリに任せきりにされ、甘やかされて育てられた。そのためルイ十五世が親政を執ったとき、政治の実権はこの家庭教師の手に帰すことになった。狩猟、賭博、それに食事にしか関心をもたなかった若い王は、「仕事にはうんざりしていたので、統治の業務をフルーリの手に任せ、彼自身の方法で人生を享楽すること」を選んだからである。
やがてフルーリが死に、ルイ十五世が直接統治に乗り出すことになったが、「彼は快楽以外のことにはほとんど注意を払わず――無慈悲ではないが無感覚、無情ではないがのろい脈拍の持ち主であると思われていた。彼は彼の臣民のことを良かれとは欲したが、改革かあるいは刷新によって彼等の福祉を保障するための手段は何も取らなかった」
そのため、王がもっとも心を配ったのは、優れた人材を大臣につけることではなく、退屈を紛らしてくれる遊び相手の寵姫(ちょうき)を見つけることだった。この方面では、王の願いはかなえられた。ポンパドゥール夫人という、願ってもない理想の愛人が現れたからである。
ポンパドゥール夫人は、次々に新しい遊びを考え出して無聊(ぶりょう)を紛らすという類い稀な才能の持ち主だったので、王を完全に魅了し、ついには政治をも動かす無冠の女王となった。
追放された大臣の一人は日記にこう記した。
こんなことなら当時の誰にでも予想できたことなのだろう。だが結局、崩壊を阻止できた人間は一人もいなかった。
今日もまた、多くの企業で「我が社のルイ十五世」に関して同じような日記が記されているにちがいない。
【この書評が収録されている書籍】
この点、絶対王政を築いた太陽王ルイ十四世の跡を受けながら、王朝崩壊の原因を作ったルイ十五世ほど格好の研究対象はあるまい。
著者のグーチによれば、ルイ十五世の最大の不幸は「彼が超人でなかったこと」にある。というのも、ルイ十四世が作り上げた絶対王政は彼自身のような半神的な支配者を必要とする体制だったにもかかわらず、その体制を継承したルイ十五世は意志、責任感に欠けた怠惰で凡庸な君主でしかなかったからである。
ブルボン王朝崩壊のもう一つの原因はルイ十四世の長すぎた治世そのものにあった。すなわち、太陽王の犯した最大の誤りは「あまりにも長く生きすぎた」ことである。おかげで息子も孫も先に没してしまい、彼が崩御したとき跡を継いだのは五歳の曾孫(ひまご)だった。しかも摂政オルレアン公は名うての快楽主義者だったから少年王は家庭教師の司教フルーリに任せきりにされ、甘やかされて育てられた。そのためルイ十五世が親政を執ったとき、政治の実権はこの家庭教師の手に帰すことになった。狩猟、賭博、それに食事にしか関心をもたなかった若い王は、「仕事にはうんざりしていたので、統治の業務をフルーリの手に任せ、彼自身の方法で人生を享楽すること」を選んだからである。
やがてフルーリが死に、ルイ十五世が直接統治に乗り出すことになったが、「彼は快楽以外のことにはほとんど注意を払わず――無慈悲ではないが無感覚、無情ではないがのろい脈拍の持ち主であると思われていた。彼は彼の臣民のことを良かれとは欲したが、改革かあるいは刷新によって彼等の福祉を保障するための手段は何も取らなかった」
そのため、王がもっとも心を配ったのは、優れた人材を大臣につけることではなく、退屈を紛らしてくれる遊び相手の寵姫(ちょうき)を見つけることだった。この方面では、王の願いはかなえられた。ポンパドゥール夫人という、願ってもない理想の愛人が現れたからである。
ポンパドゥール夫人は、次々に新しい遊びを考え出して無聊(ぶりょう)を紛らすという類い稀な才能の持ち主だったので、王を完全に魅了し、ついには政治をも動かす無冠の女王となった。
大臣たちは来り、そして去ったが、寵人は彼女の死の日まで彼女の影響力を保有した。
追放された大臣の一人は日記にこう記した。
絶対君主統治はよい王のもとではきわめてすぐれたものであるが、我々が常にアンリ四世を持つだろうと誰が保証するであろうか。
恐らく革命は人が予期するよりも少ない反対をもってなされるであろう。
こんなことなら当時の誰にでも予想できたことなのだろう。だが結局、崩壊を阻止できた人間は一人もいなかった。
今日もまた、多くの企業で「我が社のルイ十五世」に関して同じような日記が記されているにちがいない。
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