書評
『神経症の時代 わが内なる森田正馬』(文藝春秋)
精神医学から思想へ
ドイツの圧倒的影響下にあった精神医学の創生期に、むしろ東洋風の受け身を生かした独自の神経症治療に打ち込み、めざましい成果を挙げた森田正馬。恐怖と闘い、不安をねじ伏せるのではなく、近代生活においてその種のこころの揺れ幅は当然の事態とみなし、それが逆に生きることへの強烈な欲望と表裏をなす現象なのだと患者に理解させるその姿勢は、医療を超えたひとつの思想として息づいている。森田が患者に課した最大の義務は、生活のために必要な行為以外は一切ぬきで数日のあいだ個室に閉じこもり、苦しみと対峙しつつそれになんらかの「はからい」を施そうという意志が途絶えて、ふたたび外部へとこころが開かれるまで安静にしているという「絶対臥褥(がじょく)」であった。それを抜け出せば、あとはやらねばならない眼前の仕事に没頭して、苦悩を苦悩として処理しようとする理性の働きが、穏やかに消滅していくのを待てばいい。
あと一歩で安手の「修行」になびきそうな弱さもここにはあるのだが、似非(えせ)宗教との決定的な相違は、森田の理念があくまで「生」への執着に支えられている点だろう。
とはいえ、大正年間の医学界における官学の壁は厚かった。治療の現場からたえずフィードバックされた理論にどれほどの説得力があろうと、在野の仕事はなかなか評価されなかった。「森田療法」のみならず、「森田正馬」その人の魅力に打たれた少数の献身的な弟子がいなければ、彼の思想は、ある種のきわものとして処理されたにちがいない。
優れた弟子のひとり、岩井寛の生涯は、その意味で森田の精神を継承しながら、さらに深い思想へと育てていった他に得難い実例である。癌に冒され、余命いくばくもないと気づいたときから、岩井は死の恐怖に直面した自分自身に対してこそ掛け値なしの森田療法が適用されなければならないと悟り、残された歳月をひたすら前向きに生きようとする。
倉田百三の神経症が森田療法によって完治したという知られざる歴史を明かす冒頭部や、森田療法の「解説」にあたる展開部では、懇切ゆえの復唱がたたって若干流れのよどむ箇所が見られるが、死を控えた生の充実を示す岩井の姿を描く最終章では、書き手の魂が対象に同化し、なまじっかな小説よりもはるかに密度の高い仕上がりになっている。
注目すべきは、著者の視線に森田正馬の思想を「強迫神経症」的な日本の「いま」にぶつけるあたたかい毒が備わっていることだ。共感と畏敬の念をもって先達の仕事を読み返す営為が、そのまま社会全体の鳥瞰と相即する呼吸に、あたらしい評伝の可能性を見る思いがした。
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