書評
『愛書家のベル・エポック―アンリ・ベラルディとその時代』(図書出版社)
一般の人間にとって、なにが理解できないといって愛書癖ほど理解できないものはない。おまけに我が国には仮綴(かりとじ)本を自家装幀(そうてい)させる伝統がないので、挿絵(さしえ)入りの限定本を名のある装幀家にモロッコ革で装幀させたフランスの豪華本などというものは、初めから想像を越えている。したがって、豪華な装幀本の妖(あや)しい魔力は日本で猛威を奮うことはたえてなかった。だが革と紙というのは人間の本能とどこか深い所で結びついているものらしく、いったん革装本の魅力に取り付かれた人は、国籍に関係なく二度とその呪縛(じゅばく)を逃れることができない。本書は日本における数少ない本物の愛書家の一人である著者が愛蔵書の来歴を語るという形でベル・エポック期の愛書家や装幀家について論じたものだが、たとえば次のような一節を読めばその呪縛がどこからくるかある程度は理解できるかもしれない。
ところで、こうした豪華本の傑作の多くはベル・エポックに集中的に生み出されたが、それはこの時代の愛書家たちが、単に稀覯本(きこうぼん)を蒐集(しゅうしゅう)するだけではなく、同志を募って愛書家協会を組織し、みずから作家と挿絵画家を選択しての豪華本を限定出版したためである。こうした豪華本は、本という概念にはとうていおさまりきれない、高級美術品だったから、当然、装幀にもそれにふさわしい芸術的なものが要求され、かつてなかったような技倆(ぎりょう)と芸術性をもつ装幀家が現れた。マリユス・ミッシェルはそんな装幀家の一人で、アール・ヌーヴォー風のデザインの類いまれなその装幀本は愛書家を夢見心地に誘う。
だが、本書のすぐれているのは、むしろこうした豪華本の蒐集それ自体が一つの芸術行為であることを間接的に証明したことである。すなわち著者は「愛書家の王」と呼ばれたアンリ・ベラルディの興味深い愛書家神話を語りながら、こうした一流の愛書家の唯一の「作品」であるコレクションの評価は、死後の売り立ての落札価格で定まるとしてこう述べる。
ひとことでいえば、豪華本のコレクションとは、ひとりの人間がいかなる感受性をもって本を集めたかを示す芸術行為、「作品」であり、オークションは、それに評価を与える公的な場なのである。日本には、まだ真の愛書趣味もないが、それに価値を与える伝統もない。これは、不幸なことなのか、それとも幸せなことなのか。
【この書評が収録されている書籍】
モザイクを施されたモロッコ革の手触りや、腰の強い局紙を指先で繰るときの擦音。また明るい陽差しのもとで見る腐蝕(ふしょく)銅版画の輝きや、クロモリトグラフの発色(……)。抽象的な文字情報となって観念の彼方へ逃れようとする書物を、愛書家の眼や指先や掌は、艶しい肉体の次元に引き留める。(……)オブジェとしての書物は、観念にも色や形そして手触りがあることを、私たちに教えてくれる。
ところで、こうした豪華本の傑作の多くはベル・エポックに集中的に生み出されたが、それはこの時代の愛書家たちが、単に稀覯本(きこうぼん)を蒐集(しゅうしゅう)するだけではなく、同志を募って愛書家協会を組織し、みずから作家と挿絵画家を選択しての豪華本を限定出版したためである。こうした豪華本は、本という概念にはとうていおさまりきれない、高級美術品だったから、当然、装幀にもそれにふさわしい芸術的なものが要求され、かつてなかったような技倆(ぎりょう)と芸術性をもつ装幀家が現れた。マリユス・ミッシェルはそんな装幀家の一人で、アール・ヌーヴォー風のデザインの類いまれなその装幀本は愛書家を夢見心地に誘う。
この段差のある装幀は、書物のなかに咲いた花の姿を表紙の窓から透かし見るような、あるいは、表紙の扉を開くと、書物のなかからその花がこぼれるような、そんな風情を感じさせる。
だが、本書のすぐれているのは、むしろこうした豪華本の蒐集それ自体が一つの芸術行為であることを間接的に証明したことである。すなわち著者は「愛書家の王」と呼ばれたアンリ・ベラルディの興味深い愛書家神話を語りながら、こうした一流の愛書家の唯一の「作品」であるコレクションの評価は、死後の売り立ての落札価格で定まるとしてこう述べる。
愛書家の生涯は、肉体の死によって終わらない。棺を蓋(おお)いて事定まるというが、愛書家の場合はもうすこし時間がかかる。彼の生涯は、死後に行われる盛大な蔵書売立によって幕をおろす。
ひとことでいえば、豪華本のコレクションとは、ひとりの人間がいかなる感受性をもって本を集めたかを示す芸術行為、「作品」であり、オークションは、それに評価を与える公的な場なのである。日本には、まだ真の愛書趣味もないが、それに価値を与える伝統もない。これは、不幸なことなのか、それとも幸せなことなのか。
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