書評
『従軍カメラマンの戦争』(新潮社)
公表を拒んできた第一級の戦場写真
ヴェトナム戦争ではアメリカはむろん日本からも大勢のカメラマンが従軍し、彼らの写真が世界の世論に大きな影響を与えたが、過日の湾岸戦争では米軍はカメラマンの自由な活動を許さなかった。戦争と写真の関係は複雑かつ深い。戦前の日本で、どのようにして写真が戦争に結び付いたのかをこの本ではじめて知ることができた。昭和十二年、日本軍の爆撃で破壊された上海南駅で泣き叫ぶ赤ん坊の写真(やらせの可能性もないではない)が『ライフ』に載り、欧米では反日感情が高まる。これを見た日本の報道写真の元締の名取洋之助は、「日本もこれだよ。これをやらなきゃ世界が味方してくれんよ」と言って軍を口説き、自分が経営する報道写真会社の〈日本工房〉からカメラマンを派遣することにする。それまでも新聞社のカメラマンは従軍していたが、本当の前線には行かないうえ、一作戦終わると次の人に交代していた。
名取洋之助に言われて上海に飛び、一日後に徐州作戦に従軍し、結局八年間、北はカムチャッカ半島から南はフィリピンのパターン作戦、西は(空からだが)重慶まで日本軍と行動を共にすることになったのがカメラマンの小柳次一である。期間といい撮った写真の量といい戦前の日本を代表する従軍カメラマンといっていいが、その小柳が日本のジャーナリズムに対し長らく公表を拒んできた写真と当時の回想をはじめて一冊にまとめた(新潮社)。写真編集者の石川保昌が、八十六歳の従軍カメラマンの複雑で深い心情を理解し、産婆役を務めた成果である。
従軍当初、小柳は、もっぱら"戦争"を撮っていたが、しだいに、
兵隊を本気でちゃんと撮ろうと思うようになった……ほとんどの兵隊は戦争がなかったら百姓やったり、商売やってた普通の人間なんです。……そういう連中といつ死ぬかもわからない状態でずっと一緒にいて、カメラ持っているのは自分しかいないんですから……今、考えたら、とにかく、こういう兵隊がいたんだぞと撮っておきたかった……それが、結局最後まで軍とつき合うことになった理由でしょうね。
まさかと思うような写真がある。中国軍の背後に中国兵の格好をして潜入する後方撹乱(かくらん)部隊に従軍した時、突如、友軍と誤解した中国軍が現れ、声をかけてきたが、敵と分かって、急転、戦闘が開始された。その時の敵味方が親しげに挨拶するシーンと、その直後の身を伏せるシーンの二枚が写し取られている。後者はピンボケ気味。
戦後になってからのことだが、朝鮮戦争の休戦会談の取材に行き、上海の赤ん坊の写真を撮ったアメリカ人のH・S・ウォンと一緒になり、
「あんたの写真のおかげで、俺は妙な写真家になってしまったぞ」と言ってやりました。あれはやらせだろうって聞いても笑ってるだけでしたが……。
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