書評
『二葉亭四迷伝』(講談社)
四十六歳の二葉亭四迷
月刊の文芸雑誌で連載小説をはじめた。実は、これデビュー以来はじめて。このコラムがみなさんのお目にとまっている頃に、丁度そちらの方も出ているはずである。タイトルは『日本文学盛衰史』。これだけ読むと、文学史か文芸評論と勘違いされるかもしれないが、本文を読むと途中まではやっぱり文学史か文芸評論と思われるかもしれない(!)。でも、一回目の最後でちゃんと小説だとわかるようになっているのでご安心のほどを。
登場人物は実在の明治の作家たち。ここ何年か、この小説の準備もあってずっと明治の作家たちを読んできた。時代は遥か遠いが、同時になにも変わっていないような気もする。時には、現代のどんな作品や作家より、明治の作品や作家たちの方が生々しく感じられることもある。その理由を少しずつ書いていこうと思っている。
一回目の主役となったのが二葉亭四迷こと長谷川辰之助である。彼には全編のキーパースンになってもらう予定だが、書きはじめてから、久々に中村光夫の『二葉亭四迷伝』(講談社文芸文庫)を読み返し、不思議な符合に気づいた。
この五月十日に僕は染井にある二葉亭の墓をたずねました。ふだんは彼の命日をとくに気にかけたことはないのですが、この日の墓詣りは、今年のはじめから心がけていました。
彼が命をおえた四十六歳という齢に、今年僕もなったからで、この記念すべき命日に彼の墓に行こうという独合点の欲求のためです。……むかしは伯父さんぐらいのつもりでいた彼が、いつのまにか自分より若死にした人になってしまったという事実は、一面において彼と別れるときがきたのを意味します。……その代わりに今ならば、ことによると彼の生涯を鳥瞰できるかも知れません。……鴎外はシュニッツラーだかを訳しながら、自分の方が年上だからね、といったそうですが、僕は彼より年上になったのが、まだ利点であり得るあいだに、二葉亭にたいする長い間の負い目を果たそうと思います。
四十六歳で亡くなった二葉亭四迷の伝記を中村光夫が書いたのは四十六歳。二葉亭四迷を主人公とする長編をスタートさせたぼくも今年四十六歳になったのである。いや、いまも読み続けている明治の作家たちの多くはぼくより若く亡くなり、その傑作の大半をやはりぼくより若い時期に書いていることにも気づいた。もう一つ付け加えるなら、四迷は持って生まれた批評性の強さ故に、自作に厳しすぎて作品の数は少なく、中村光夫は優れた小説家ではあったが、批評家としてはもっと優れていた。批評と小説を兼業しようとしているぼくとしてはなんだか身につまされてしまうのである。
二葉亭四迷こと長谷川辰之助とはどんな人であったのか。簡単にいうなら、彼は現代日本語のスタイルを作った人であった。当時、小説家には戯作や漢文崩しの文章しか使える武器がなかった。一部の作家はドイツ語や英語やフランス語の原文から小説を読んでいたが、それを翻訳として移し替えることのできる日本語はなかった。明治維新から二十年、文化と精神は刻々と近代のものとなっていったのに、それを表現する言葉は古い時代のものだった。二葉亭四迷はたった一人で、小説を書くことのできる日本語をつくり出そうとしたのである。彼が創出した日本語をぼくたちは「言文一致」の文章と呼んでいる。それから百年、作家たちは二葉亭の味わった苦しみだけは知らずにすんだのである。
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