書評

『木を読む―江戸木挽き、感嘆の技』(小学館)

  • 2022/10/11
木を読む―江戸木挽き、感嘆の技 / 林 以一,かくま つとむ
木を読む―江戸木挽き、感嘆の技
  • 著者:林 以一,かくま つとむ
  • 出版社:小学館
  • 装丁:文庫(235ページ)
  • 発売日:2001-10-00
  • ISBN-10:4094114718
  • ISBN-13:978-4094114713
内容紹介:
大鋸一丁で大木や柱を板に製材する「木挽き」は、室町以来500年の伝統を誇る職業。かつて東京・木場だけでもその数は300人もいたという。技術革新が進み、建築様式も多様化した現在、その数は… もっと読む
大鋸一丁で大木や柱を板に製材する「木挽き」は、室町以来500年の伝統を誇る職業。かつて東京・木場だけでもその数は300人もいたという。技術革新が進み、建築様式も多様化した現在、その数は激減したが、今も彼らでなければこなせない技がある。 一本ずつ異なる木の性質を的確に読み抜き、建造材としての機能と同時に建築美の要素を両立させる勘と技。木を読ませたら当代一の職人が、木という素材の魅力について語る。

木挽(こび)きが守る美しい木目(もくめ)の味わい

読書の秋の開幕一番、『本を読む』ではなく、一本引いて『木を読む』(小学館)を紹介したい。

著者の林以一さんは一本引くのが商売の木挽き。コビキ。この仕事が今の日本でまだ続いていることに驚いた読者は多いでしょう。信州の田舎でも私が最後に目にしたのは四十年以上前になる。小学校に上りたての頃だったが、家に木挽きが二人やってきて、軒下にデンと据えられた栗の巨木を挽き続け、一週間ほどして帰り、後には重ね積みされた板の小山が残された。なんだか別世界の人がかすめて去ったような後味を子供ながらに覚えた。大工、左官、鍛冶、石工といった日頃見なれた建設職人とはまるでちがう漂泊者のような印象だった。

大の男二人がシーソーのように交互に体を動かすのも、ノコギリを水平に挽くのも珍しかったが、それ以上に奇異に感じたのは一週間もいながら職人に常の冗談も言わなければ子供をからかいもせず、モクモクと日がな一日挽き続けて去ったことだった。こわかった。

そんな木挽きがまだ現役でいて、本を書いたというのだから、読まないわけにはいかない。木挽きは現在、日本中でわずかに十人しか残っていないそうだから、おそらくこの本は木挽きが自分の世界のことを書いた最初で最後の一冊になるにちがいない(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆年は1996年)。

読むと謎はすべて答えられていた。まず二人一組みになるのは、大きな丸太は両側から一緒に均等にノコギリを入れないと挽き切れないからで、二人の呼吸は「女房以上の呼吸ですし、実際、一緒にいる時間も長い」。モクモクと仕事をするのも、巨木の向こうで顔の見えない相手の進行状況をノコギリの歯が木を刻む音だけから察知しなければならず、いきおい無口になって耳を澄ますから。水平に挽くのは“大阪挽き”といって大正の初め頃に広がったやり方で、北斎の絵にあるような江戸時代からの斜めに立てかけて上下に挽くのにくらべ画期的に体が楽で能率があがる。

そんな細かいことより読者がまず知りたいのは、どうして今の日本で機械製材に頼らずに、例の田舎の郷土博物館に飾ってある座布団を水平にゆがめたような形の大鋸(おが)を手に丸太に立ち向かう必要があるのかだろう。

木目(もくめ)が美しいんです。その木目の色艶(いろつや)の決め手は脂、つまり樹脂なんですね。製材機というのは、歯を高速回転させて能率よく木を切る道具ですが、こうした色艶や木目が命の木を製材機にかけると、大事な樹脂が熱で溶けて、台無しになってしまうんです。せっかくの模様が摩擦熱の高温でぼうっとなって、艶も変ってしまう。挽いたときに、えもいえぬ味や風格のある木というのは、そうそうあるもんじゃありません。いわば銘木は木の宝石。大事な原石だからこそ、時間がかかっても木挽きに任せるんです。木挽きは、宝石でいえばカット職人であり、デザイナーでもあるんですな。

カット職人というのは分かるが、どうして木挽きが木のデザイナーなのか。木を読むというのもここに関わる。本であれば行間を読むのが本当の読書であるように、木の場合も丸太の外観を目で追いながら、中の木目がどうなっているかを読みとり、その魅力が最大限生きるようにノコギリを入れなければならない。

おぼっちゃんみたいに育った木というのは案外つまらないですしね。風だとか、ほかの木との競争だとか、そこそこいじめられ、やがて見渡してみると、そのへんでいちばん大きくなっていたような木。こんな木は、大鋸で開けてみるとじつに面白い木味(きあじ)があるんですなあ。こうした立派な木をどう挽くかというのが、私ら木挽きの腕の見せどころになるというわけです。

信じられないような話もでてくる。奥多摩湖畔のケヤキと立ち向かった時のことで、あまりに大きくて切り倒すことができず、秘技「立木崩し」を使い、立ち木のまま挽いてしまった。二・五メートルの大鋸を特別にあつらえ、二人で四十五日をかけ、毎夜都合四斗の酒を体に注入し、挽き出した材のうち最高のものは幅四メートルの一枚板。もし座卓にすると八畳からあふれてしまう大きさ。年輪を数えると樹齢はおよそ八百年。鎌倉に幕府が開かれた頃からの木。たしかにこんな木を機械ノコギリで挽いてはバチが当たるというもの。

大きさや木目といった幾星霜を経ることではじめて生まれる木の深い味わいを賞味する伝統を持つのは日本だけ。西洋はむろん中国でも木は塗装して使うのが原則で、そうであるかぎり木目は関係ないし、板を継いでも上から塗れば分からない。その日本の伝統を十人の木挽きがからくも支えている。

【この書評が収録されている書籍】
建築探偵、本を伐る / 藤森 照信
建築探偵、本を伐る
  • 著者:藤森 照信
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(313ページ)
  • 発売日:2001-02-10
  • ISBN-10:4794964765
  • ISBN-13:978-4794964762
内容紹介:
本の山に分け入る。自然科学の眼は、ドウス昌代、かわぐちかいじ、杉浦康平、末井昭、秋野不矩…をどう見つめるのだろうか。東大教授にして路上観察家が描く読書をめぐる冒険譚。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

木を読む―江戸木挽き、感嘆の技 / 林 以一,かくま つとむ
木を読む―江戸木挽き、感嘆の技
  • 著者:林 以一,かくま つとむ
  • 出版社:小学館
  • 装丁:文庫(235ページ)
  • 発売日:2001-10-00
  • ISBN-10:4094114718
  • ISBN-13:978-4094114713
内容紹介:
大鋸一丁で大木や柱を板に製材する「木挽き」は、室町以来500年の伝統を誇る職業。かつて東京・木場だけでもその数は300人もいたという。技術革新が進み、建築様式も多様化した現在、その数は… もっと読む
大鋸一丁で大木や柱を板に製材する「木挽き」は、室町以来500年の伝統を誇る職業。かつて東京・木場だけでもその数は300人もいたという。技術革新が進み、建築様式も多様化した現在、その数は激減したが、今も彼らでなければこなせない技がある。 一本ずつ異なる木の性質を的確に読み抜き、建造材としての機能と同時に建築美の要素を両立させる勘と技。木を読ませたら当代一の職人が、木という素材の魅力について語る。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 1996年11月3日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
藤森 照信の書評/解説/選評
ページトップへ