人間は野生化できるか問う
ダーウィンの主張をかなり大雑把に要約したメギンソンのコトバに「生き残ることができるのは最も強い者でも最も賢い者でもない。変化に対応できる者だ」というのがあるが、本書ではボルネオ島の密林の狩猟採集民プナンとともに生活した著者の体験や各地の実例が豊富に紹介されている。狩猟犬が狼(おおかみ)化した話、自然林が開発されたことに伴い、生態を変え、環境に適応したヤマアラシの話、学校教育を受けるよう指導されたプナンの反応と、その後の狩猟離れなどもそうした実例の一つで、変化の波は熱帯雨林にも及び、またそれに日本も関わりがあることがよくわかる。日本でのアマゾンの山火事への関心は低いが、地球の裏側の出来事が循環して、自分たちの生活に影響を及ぼすし、また日本の原発事故による汚染が太平洋の対岸にも及ぶのが生態系というものである。同様に資本の原理と前近代の互酬の原理はパラレルワールドのように交わらないわけではなく、相互に密接に干渉しあっている。朝起きて川で朝食を取り、その後、狩りに出て、イノシシが取れると食べ、糞を撒き散らす、そんな原初的なその日暮らしを送るプナンの振る舞いは所有権と契約が前提の社会から見れば、アウトローのそれに見えるが、互酬社会においては、資本主義こそが組織的略奪にほかならない。未来のビジョンなんてものはなく、時間の感覚も希薄で、私有、貸し借り、という概念もなく、自然からの恩恵を共有し、自然への畏敬から倫理を形成する。人間に不幸をもたらす世界の不完全さを拒絶するプナンの知性の一端に触れると、にわかに人間の性善説を信じたくなる。システムや組織の隷属から解き放たれた人間も、野生化できるものなのか、という思考実験に本書は貴重なヒントを与えてくれる。資本主義崩壊後の世界でもっとも生存確率が高いのはプナンのようなその日暮らしスキルに長けた者かもしれない。