書評

『レンマ学』(講談社)

  • 2019/10/15
レンマ学 / 中沢 新一
レンマ学
  • 著者:中沢 新一
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(482ページ)
  • 発売日:2019-08-08
  • ISBN:4065170982
内容紹介:
『チベットのモーツァルト』『カイエ・ソバージュ』など数々の著書をもつ稀代の思想家・中沢新一。その思考の集大成。

二十一世紀の科学へ刺激的な提言

正直、まず「レンマ」って何というところから始まった。読み進むうちに、『華厳経』と関係があるとわかってくる。こりゃ難しそうだというのが本音だが、それでも取りあげたのには理由がある。

人間は生きものであるというあたりまえのことを基本に、自然・生命・人間の理解を求める研究の場に身を置く者として、今の学問に何か不足を感じている。近年、ゲノムはもちろん、プロテオーム、メタボロームなど、私たちの体をつくり、またそこではたらく物質については大量のデータが得られている。脳研究も急速に進み、人工知能は日々発達している。しかし、ここから人間とは何かが見えてくるのは難しそうだ。むしろ、人工知能に押され、学問の中では人間の人間らしさが消え機械化していきそうな気配さえ見える。

生きものである人間を知る学問が欲しい。強く思うようになっているところへ、「未来のサピエンス学へ」とある本書の登場である。ヨーロッパで発達した「学」は「ロゴス」に依拠している。ロゴスは、「自分の前に集められた事物を並べて整理する」知性作用であり、言葉がこれと同じ作用をもつので、言葉で考え表現できる。一方「レンマ」は「全体をまるごと直観によって把握する」知性であり、データ化や言葉化が難しく、その働きを実体として取り出せない。そこで、古代ギリシャの哲学者は、レンマ的知性の存在を感じながらもロゴスに徹したのである。その後自然科学はこの形で大きく進展し、現代に到っている。

ところで、このロゴス一辺倒に変化が出始めている。一つは量子力学などロゴス型に収まりきらない学問が生まれてきたことである。生物学はまさにそこにいると言えよう。生きものがそういう存在なのだから。もう一つは、ロゴス型の知がつくり出した現代科学技術社会に問題が山積し始めていることである。

そこで「レンマ」である。大乗仏教の思想家たちが、縁起の論理によってこの知性を捉え、『華厳経』にそれが記されている。ただし、これを東洋の知と捉えてロゴスと対立させては意味がない。知性には、ロゴスとレンマとがあり、それを結合した「学」を創り出す時が来ているのだ。それが著者の思いであり、評者もその挑戦を重要と考える。

著者が「レンマ学」に思い到ったのは、南方熊楠の科学的思考の拡張を、「ロゴス」から「レンマ」への知性の拡張として理解した時だそうだ。粘菌という中枢神経をもたない生物の情報処理はまさにレンマ型であり、私たちの心もそれが支えていると考えられるようになってきている。

「レンマ学」の基礎である、大乗仏教が開発した「縁起の思想」は、「すべての現象は縁起するゆえに、固定的な実体をもつものはなく、固執する対象もない」とする。著者はこの縁起、無分別、非時間、非線形、非局所のレンマ的知性こそが基本であり、因果論に始まる分別、時間、線形、局所に関わるロゴス的知性はその変異体として生まれたとする。生きものを見ていると確かにそう思えてくる。

フロイト、ユングの無意識を考察すると、前者がロゴスの中に止(とど)まるのに対し、ユングはレンマのはたらきを見ていることがわかる。これは南方熊楠にも見られ、いわゆる「南方マンダラ」はその考えを示している。レヴィ=ストロース、チョムスキー、ヤコブソンなど多くの知的成果を引きながらの二十一世紀の生きものの科学、こころの科学のありようへの提言は刺激的である。
レンマ学 / 中沢 新一
レンマ学
  • 著者:中沢 新一
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(482ページ)
  • 発売日:2019-08-08
  • ISBN:4065170982
内容紹介:
『チベットのモーツァルト』『カイエ・ソバージュ』など数々の著書をもつ稀代の思想家・中沢新一。その思考の集大成。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2019年9月22日

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