前書き
『宇宙の地政学:科学者・軍事・武器ビジネス 上』(原書房)
ベストセラー『忙しすぎる人のための宇宙講座』などで知られる天文物理学者ニール・ドグラース・タイソンが、自らの経験と知識のすべてを詰め込んだ一冊。
「敵がいるから科学は発展するのか?」と自問し、古代からの軍事と科学の不可分な関係にヒントを求め、そして現代の「宇宙の地政学」とも呼ぶべき宇宙覇権競争を冷ややかに眺めつつ、その本質と未来について警鐘を鳴らす。
宇宙時代の科学とは何か、戦争とは何かを知るための必読書『宇宙の地政学』(上下巻)のプロローグを特別公開する。
片方が科学技術の知識を活用し、もう片方がそうでないとき、そこには必ず力の非対称性が生じるからだ。
もし生物学者が戦時協力を求められれば、細菌やウイルスの兵器化を考えるだろう。
包囲戦の際、腐敗した動物の死骸を城壁のなかに投げ入れるのは、生物兵器使用のはしりだったかもしれない。
戦争には化学者も貢献する。たとえば、古代の戦争で井戸に入れるための毒、第一次世界大戦のマスタードガスや塩素ガス、ヴェトナム戦争の枯葉剤や焼夷弾、現代の紛争で使われる神経ガス……。
物質、運動、エネルギーの専門家である物理学者が戦争でなすべき仕事はシンプルだ。
こちらのエネルギーをあちらに持って行くことである。
その役割が最も強力な形として具体化されたのは、第二次世界大戦で使われた原子爆弾であり、その後の冷戦中に開発された、さらに破壊的な水素爆弾だった。
そして最後にエンジニアが、これらすべてを実現する。つまり、科学を使って戦争を容易にするのは、彼らエンジニアだ。
だが、我々天体物理学者はミサイルも爆弾もつくらない。それどころか兵器など一切つくらないのだ。
その代わり、天体物理学者と軍隊は、たまたま関心事の多くが重なっている(マルチスペクトル検出、距離測定、追跡、画像化、高地、核融合、宇宙利用)。
重なり合いは強く、知識は双方向に流れる。
天体物理学者のコミュニティ全体としては、他の多くの学術界と同じく、圧倒的多数がリベラルで反戦主義だ。
にもかかわらず、我々は奇妙なほど軍と共謀関係にある。
本書は、この両者の関係を、天測航法が征服や覇権に利用された最も古い時代から、人工衛星が戦争に利用される現代までを通して探っていく。
本書の構想が芽生えたのは2000年代初頭、私がジョージ・W・ブッシュ大統領の任命により一二人の委員からなる「アメリカ航空宇宙産業の将来に関する委員会」に参加したころのことだ。
アメリカ議会議員や空軍将校、産業界の指導者、民主・共和両党の政治顧問が会する場に身を置いたこのとき初めて、アメリカ政府内で科学、技術、権力が織りなす機微に触れたのだった。
その経験から、こう考えるようになった。
何世紀にもわたる長い歴史のなかで、それぞれの時代に宇宙に関する発見や戦争において世界をリードするようになった国では、天体物理学者と権力者、軍人、産業界とのあいだでどんな出会いがあったのだろうか。
[書き手]ニール・ドグラース・タイソン(アメリカ自然史博物館の天体物理学者。同博物館の世界的に有名なヘイデン・プラネタリウム館長であり、ベストセラー『忙しすぎる人のための宇宙講座』の著者でもある。他邦訳書に『ブラックホールで死んでみる―タイソン博士の説き語り宇宙論』『宇宙へようこそ―宇宙物理学をめぐる旅』など)エイヴィス・ラング(アメリカ自然史博物館のヘイデン・プラネタリウム研究員。タイソンによる『ナチュラル・ヒストリー』誌の連載で、『忙しすぎる人のための宇宙講座』の基礎となったコラム「ユニバース」の編集に5年間携わったのち、タイソンの作品集『スペース・クロニクルズ』の編集責任者を務めた)(北川蒼・國方賢訳)
「敵がいるから科学は発展するのか?」と自問し、古代からの軍事と科学の不可分な関係にヒントを求め、そして現代の「宇宙の地政学」とも呼ぶべき宇宙覇権競争を冷ややかに眺めつつ、その本質と未来について警鐘を鳴らす。
宇宙時代の科学とは何か、戦争とは何かを知るための必読書『宇宙の地政学』(上下巻)のプロローグを特別公開する。
軍事・産業と科学者の「奇妙な同盟関係」
戦争では、しばしば科学技術が決定的な役割を果たす。片方が科学技術の知識を活用し、もう片方がそうでないとき、そこには必ず力の非対称性が生じるからだ。
もし生物学者が戦時協力を求められれば、細菌やウイルスの兵器化を考えるだろう。
包囲戦の際、腐敗した動物の死骸を城壁のなかに投げ入れるのは、生物兵器使用のはしりだったかもしれない。
戦争には化学者も貢献する。たとえば、古代の戦争で井戸に入れるための毒、第一次世界大戦のマスタードガスや塩素ガス、ヴェトナム戦争の枯葉剤や焼夷弾、現代の紛争で使われる神経ガス……。
物質、運動、エネルギーの専門家である物理学者が戦争でなすべき仕事はシンプルだ。
こちらのエネルギーをあちらに持って行くことである。
その役割が最も強力な形として具体化されたのは、第二次世界大戦で使われた原子爆弾であり、その後の冷戦中に開発された、さらに破壊的な水素爆弾だった。
そして最後にエンジニアが、これらすべてを実現する。つまり、科学を使って戦争を容易にするのは、彼らエンジニアだ。
だが、我々天体物理学者はミサイルも爆弾もつくらない。それどころか兵器など一切つくらないのだ。
その代わり、天体物理学者と軍隊は、たまたま関心事の多くが重なっている(マルチスペクトル検出、距離測定、追跡、画像化、高地、核融合、宇宙利用)。
重なり合いは強く、知識は双方向に流れる。
天体物理学者のコミュニティ全体としては、他の多くの学術界と同じく、圧倒的多数がリベラルで反戦主義だ。
にもかかわらず、我々は奇妙なほど軍と共謀関係にある。
本書は、この両者の関係を、天測航法が征服や覇権に利用された最も古い時代から、人工衛星が戦争に利用される現代までを通して探っていく。
本書の構想が芽生えたのは2000年代初頭、私がジョージ・W・ブッシュ大統領の任命により一二人の委員からなる「アメリカ航空宇宙産業の将来に関する委員会」に参加したころのことだ。
アメリカ議会議員や空軍将校、産業界の指導者、民主・共和両党の政治顧問が会する場に身を置いたこのとき初めて、アメリカ政府内で科学、技術、権力が織りなす機微に触れたのだった。
その経験から、こう考えるようになった。
何世紀にもわたる長い歴史のなかで、それぞれの時代に宇宙に関する発見や戦争において世界をリードするようになった国では、天体物理学者と権力者、軍人、産業界とのあいだでどんな出会いがあったのだろうか。
[書き手]ニール・ドグラース・タイソン(アメリカ自然史博物館の天体物理学者。同博物館の世界的に有名なヘイデン・プラネタリウム館長であり、ベストセラー『忙しすぎる人のための宇宙講座』の著者でもある。他邦訳書に『ブラックホールで死んでみる―タイソン博士の説き語り宇宙論』『宇宙へようこそ―宇宙物理学をめぐる旅』など)エイヴィス・ラング(アメリカ自然史博物館のヘイデン・プラネタリウム研究員。タイソンによる『ナチュラル・ヒストリー』誌の連載で、『忙しすぎる人のための宇宙講座』の基礎となったコラム「ユニバース」の編集に5年間携わったのち、タイソンの作品集『スペース・クロニクルズ』の編集責任者を務めた)(北川蒼・國方賢訳)
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